第15課 ステパノの信仰
 

◎本文聖句 使徒 61760

◎関連聖歌 169章、383

◎暗記聖句 :“こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。
        「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。
        「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた”
(使徒 759
60)

◎参照聖句 マタイ51016ローマ 1479

◎目標 :1)ステパノの信仰を模範にしましょう

             2)天国に対する確信を持って敵をも愛する人生を生きましょう

◎勉強する内容

 初代教会は福音をより效果的に伝えるために7人の執事を立てました(参照、使徒 616)。その中の一人がステパノです。今日は初代教会の最初の殉教者になったステパノの信仰に対して勉強します。

 

1.聖霊充満だったステパノ

ステパノはユダヤ人たちから告訴されて議会の前に立つようになりました。しかし、彼の顔はまるで天使の顔のように輝いていました。使徒の働き 6 15節を見ると “議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた”と記録されています。

聖霊充満であったステパノはアブラハムからイサク、ヤゴブ、ヨセフ皆が神様を真実に仕えたことを話した後、モーセの律法を間違って解釈しているユダヤ人たちの罪を指摘しました。そして、律法に縛られてキリストを十字架に打った罪を悔い改めてイエス様を信じることを大胆に宣言しました。

ステパノの言葉を聞いていた人々は心に罪責感を感じましたが、返って、怒りました。その時、ステパノは聖霊充満で、天を仰いで神様の栄光とキリストが神様の右の座に立っておられることを見ました(参照、使徒 755)

もし、ステパノが自分を殺そうと告訴したユダヤ人たちを見ていたら恐ろしくて、怖がったでしょう。しかし、彼は人々を見ないで、神様の栄光とキリストが神様の右の座に立っておられるのを見ていたので、大胆に語ることが出来ました。ですから、私たちも苦しい状況にぶつかった時、人や環境を見ないで、ステパノのようにキリストを見上げ、信仰の上に固く立たなければなりません。

 

2.希望に満たされたステパノ

天を見上げ、神様の栄光とキリストが神様の右の座に立っておられるのを見たステパノは“見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます”(使徒 756) と叫びました。すると、ユダヤ人たちは大声をあげて耳を塞いで一斉に飛びかかってステパノを城外に突き放して石で打ち始めました。

聖霊が大きく働かれて、ユダヤ人たちにも真の生きる道を開いてくださいましたが、彼らは神様の恵みを受け入れないで、返って自ら悪の道に入ったのです。どれくらい愚かな人たちでしょうか?霊の目が開かれて、天の光景を伝えたステパノの驚くべき証を聞きながらも彼らの心は閉ざされていたので、生きる道を捨ててむしろステパノを石で打ってしまいました。

石に打たれたステパノは全身が血だらけになったはずです。それでも彼はキリストの福音のために迫害を受けて死ぬことを喜びと思ったはずです。ですから、彼は “主イエスよ。私の霊をお受けください”(使徒 759)と祈ることができました。

ステパノは石に打たれて死にながらも天国に対する希望を失わないで彼のたましいを神様に委ねました。

たとえ肉体は死んでもたましいだけは神様と共に永遠に生きることを確信して、信じて期待しながらステパノは死んだのです。

 

3.敵をも愛したステパノ

ステパノは天国に対する希望で満ちたのみならず、敵までも愛した人でした。ステパノは自分を石で打つ人々に向けて悪口を言うとか呪いませんでした。むしろ彼はひざまずいて大きい声で“主よ。この罪を彼らに負わせないでください”(使徒 760)と最後に祈った後、主の懐に抱かれたのです。

このように、ステパノは愛を実践した人でした。イエス様は弟子たちに “『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい”(マタイ 543-44)と教えました。そして、イエス様ご自身も十字架にかけられ、その愛を自ら実践されました。

イエス様はユダヤ人たちの憎悪によって罪人の濡れ衣を着せられて十字架に打たれる時にも、むしろ神様に彼らの罪を赦してくださいと切に祈りました。ルカの福音書23章34節を見ると “「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」”と記録されています。

これがいかに愛で満たされた祈りでしょうか?このようなキリストの愛があったから私たちが罪赦されて、救われたのです。死ぬ瞬間まで敵を愛したステパノの愛はキリストの愛の精神から始まったのです。愛が充満な人はまことに勇ましく、また死をも恐れません。

ステパノは信仰と聖霊充満な人でした(参照、使徒 65)。それのみならず、彼は恵みと力充満で大きいしるしと奇跡を民に行った人でした(参照、使徒 68)。その理由は彼は苦しい状況の中でも信仰を守ってキリストをよく証し出来るように聖霊が能力で働いてくださったからです。

今この時間私たちは ‘私もキリストの福音のためにステパノのように死も恐れない自信があるか?’と自分自身に聞いてみましょう。私たちの力だけでは決して ‘はい’と答えることが出来ないはずです。しかし、聖霊が私たちと一緒にいてくださって、能力をくださると私たちもステパノのように神様の福音のためには死をも恐れなくなるでしょう。

私たちもステパノのようにいつも目を覚めて祈ることで聖霊充満にならなければなりません。そして、キリストによって天国に対する希望に満たされなければなりません。それのみならず、私たちも聖霊の能力を受けてステパノのように敵まで愛する人生を生きなければなりません。そうする時、神様は私たちに祝福を与えてくださるし、また、将来私たちが神様の御前に立つ日にはいのちの冠をくださるでしょう。

 

◎聖書研究

1.ステパノはどんな信仰を所有した人でしたか(勉強する内容参照)
2.ステパノは自分を石で打つ人々に向けて呪う代わりにどんな祈りをささげましたか?
  (使徒
760 勉強する内容参照)