第9課 ラオデキヤ教会
 

◎本文聖句 黙示録 314-22

◎関連聖歌 485章、193

◎暗証聖句 :“見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、
                    彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする”
(黙示録 3
20)

◎参照聖句 黙示録 1

◎目標 1)ラオデキヤ教会を通じての教訓を調べましょう。

              2)ラオデキヤ教会時代を生きる私たちがどのように生きるべきかを学びましょう。

◎勉強する内容

 今日は小アジアの七つの教会の中のラオデキヤ教会に対して勉強します。                   

 

1.ラオデキヤ教会

‘ラオデキヤ’はフィラデルフィヤから東南方へ70km 離れた所に位置した都市として、こちらに医科大学があったので、ここで造る目薬は非常に有名でした。また、こちらは金融業が発達して富裕でしたので、多くの人々が快楽を追い求めました。したがって教会は熱くも冷たくもない状態でした。


1)キリストの姿

イエス様はラオデキヤ教会に ‘アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方’として現われました(参照、黙示録 314)。私たちが神様の御言葉を聞く時 ‘アーメン’と受け入れることは神様に対する忠誠を意味します。しかし、ラオデキヤ教会はアーメンも忠誠度も真の証人であることも、それから神様が創造された根本目的もすべて忘れてしまった教会でした。こんな教会にイエス様がアーメンであり、忠誠であり、真の証人であり、創造の根本である方として現われて、彼らの偽善と無味乾燥な信仰を指摘され悔い改めを促したのです。

2)褒め言葉

今まで私たちが勉強した六つの教会の中で褒め言葉のない教会は1ヶ所もありませんが、ラオデキヤ教会は神様に一言も褒められず、叱責だけを受けた唯一な教会です。このラオデキヤ教会は正に今日私たちが生きているこの時代を示します。

3)叱責

イエス様はラオデキヤ教会に “このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう”(黙示録 316)と咎めました。今日も神様はラオデキヤ教会のように生ぬるい信仰を持っている人を忌み嫌われるのです。
それではラオデキヤ教会がどうしてこのように生ぬるい信仰を持つようになったのでしょうか?彼らが自ら
‘自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない’と思ったからです(参照、黙示録 317)。しかし、神様はこのラオデキヤ教会に向けて “実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない”(黙示録 317)と咎めました。

4)勧めと約束

イエス様はラオデキヤ教会に先に‘豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい’と勧めました。これは‘真の富’を持ちなさいという意味です。真の富とのは世の中の物質や学問や安定した制度を通じて得られるのではないのです。真の富とは私たちの罪を贖うために十字架の上で身を引き裂かれ、血を流してくださったイエス・キリストを受け入れることで得る霊的な富を意味します。

それから、 イエス様はラオデキヤ教会に ‘白い衣を買いなさい’とおっしゃいました。この白い衣は私たちがキリストを救い主とし受け入れ、イエス様の血潮で罪を赦されて、義と認められた兆候です。このように、イエス様の血潮で義と認められた私たちはすべての恥と咎がなくなったように認めてくださると主はおっしゃいました。最後に、神様はラオデキヤ教会に ‘目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい’とおっしゃいました。この薬は霊的な目を開く聖霊の目薬を意味します。聖霊の目薬を塗って霊的な目が明るくなれば、世の中の富や学問は決して誇るのに値することがないと悟るようになります。

イエス様はラオデキヤ教会に “勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである”(黙示録 321)と約束されました。これはラオデキヤ教会に主が‘一生懸命悔い改めて、主を受け入れて、主が十字架で勝利したようにあなたたちも勝てば、御座に座らせる’と約束されたのです。

5)預言的意味

ラオデキヤ教会時代は教会史的に見ると1900年代から始めて患難が近付く時代までを意味します。‘ラオデキヤ’の名前の意味は ‘民権’を意味します。この時は主のしもべたちよりも一般聖徒たちの権限が強化されて、一般聖徒たちが主のしもべたちを尊敬せずに無礼な態度を取っていてたので、霊的に堕落した教会時代でした。

1900年代に入ってドイツから始まった理性主義と科学主義的な高等批評 を神学が取り入れて聖書を歴史的、科学的、哲学的に徹底的に批評するようになりました。そのため ‘聖書が科学的にも歴史的にも合わない’と言って聖書に記録されたすべての奇跡はとり除かなければならないという主張をしたりしました。この運動が 1920年代からはアメリカ全域に広がって自由主義と現代注意の新神学が各教会に伝染病のように伝染することによってヨーロッパまでこれが広がって多くの死んだ教会が生まれました。ですから、神様がラオデキヤ教会時代を誉めませんでした。いくら見つけようとしても誉めるに値する行為がなかったからです。

今日も物質主義、快楽主義、人本主義に陥いた教会は神様に叱責を聞くだけで褒め言葉を受けることができないです。ですから、こんな教会は聖霊の目薬を目に塗らなければなりません。それで霊的な目が明るくなって初めて自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知るようになるのです。

イエス様がラオデキヤ教会が熱心を出して悔い改めて勝ち抜けば、神様の御座に座るようにしてくださると約束したように、イエス様は熱くも冷たくもないこの時代にも信仰を守る人々を穂を拾うようにして神様の御座に一緒に座らせてくださるでしょう

 

◎聖書研究

1.小アジアの七つの教会の中で唯一に神様の褒め言葉は受けることができずに叱責だけ受けた教会は
  どの教会ですか
(勉強する内容参照)

2.小アジアの七つ教会の中でラオデキヤ教会は教会史的に見る時、どの時代を意味しますか(勉強する内容参照)


◎交わりと適用

1.神様が現在私たちの信仰を見る時、どんなに評価してくださるかお互いに話して見ましょう。

2.あなたは熱くもない冷たくもない生ぬるい信仰を所有していますか?