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第6課 たましいに幸いを得るように ◎本文聖句 : 第Vヨハネ 1:2 ◎関連聖歌 : 493章、495章 ◎暗証聖句
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“愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるよう ◎参考聖句 : Tテサロニケ 5:23; Tコリント 3:16 ◎目標 :1) たましいが生きる道と魂を訓練させる方法を調べましょう。 2)肉を殺して聖霊の支配を受ける人生の秘訣を調べましょう。 ◎勉強する内容 うちなる人間は霊と魂と肉で構成されています(参照、Tテサロニケ
5:23)。肉体は私たちがこの地に住む間だけ必要です。しかし、霊魂は肉体を離れても永遠に存在します。そうだから霊魂の問題は非常に重要です。今日は私たちの霊魂に幸いを得る秘訣に対して勉強しましょう。 1.霊が生きる道 人類の先祖であるアダムとエバは神様のいのちの息をもらって生きものになりました(参照、創世記 2:7)。しかし、アダムとエバがサタンの誘惑に負けて善悪の知識の木を食べることで彼らの霊は死んでしまい、また、神様との交わりも断絶されましたし、エデンの園からも追い出されてしまいました。それだけでなく、アダムの犯罪によって全人類は罪人になりました(参照、ローマ 5:19)。 それではこのような絶望的な状況で誰が私たちの霊を回復させてくれることが出来ましょうか?人間の道徳的訓練や修養、そして教育や政治が私たちの霊を回復させてくれることができましょうか?人間は完全に堕落してしまったので、人間のいかなる力でもその霊を回復させるは出来ません。ただイエス・キリストだけが私たちの霊を回復してくださるのです。イエス様がこの世の中へいらっしゃった目的は霊が死んでサタンの奴隷として生きて行く人間を救うためです。ルカの福音書19章 10節を見ると “人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです”と記録されています。
それなら私たちが救われるためにすべきことは何でしょうか?私たちが救われるためにすべきことは何もありません。ただイエス様が十字架の上で身を引き破かれて血を流されて私たちの罪を贖われたことを信じてイエス様を受け入れるだけで良いのです。私たちがイエス様を迎え入れる時に得る命をギリシャ語で
‘ゾーエ’と言いますが、このいのちは神様からのものです。ですから、私たちがイエス様を救い主としてお迎えする時、私たちの霊は神様のいのちを受けて新しく生き返るようになります。もちろん私たちがキリストを救い主として信じる信仰は自然には出来ません。聖霊様が助けてくださるときに可能なのです
(参照、Tコリント12:3)。 2.魂を訓練させる道 キリストを通じて私たちの霊が生き返えったとしても、私たちが完全に霊的な人生を生きることは出来ません。何故ならば、今まで魂が私たちの中で最高の決定権者だったし、統治者だったので霊の支配を受けようとしないからです。霊は神様中心に生きようとしますが、魂は自我中心に生きようとします。しかし、一応私たちの霊が生き返えた後には神様が必ず私たちの魂を砕きます。 神様は患難と逆境を通じて魂を砕きます。患難と逆境を通じて私たちの我執と不信仰、そして憎しみや情欲のような魂に属していた思いを砕きます。ですから、私たちが患難に会う時は恨むとか不平を言わないで、神様の前に謙遜に伏 して悔い改めて祈らなければなりません。魂が砕かれて霊に従うようになれば、これからは魂を訓練させなければなりません。魂は理性的な存在ですので、砕いてばかりしてはいけません。教育させて訓練させなければなりません。それではど のように魂を訓練させることができましょうか?神様の御言葉を通じて訓練させなければなりません。ですから、私たちは神様の御言葉を読んで、聞いて、勉強して、黙想して、暗証する ことに力をつくさなければなりません。
私たちの霊が幸いを得るためには魂を砕いて訓練させると同時に肉を殺さなければなりません。肉は感覚的で情欲的で衝動的です。ですから、肉体は魂のように訓練させるとか 砕くことが出来ません。肉は情欲が起きれば淫らで酒に酔って遊蕩するようになります。このように肉は衝動によって行動するので教育や訓練で治めることが出来ません。
それでは私たちの肉をどうすれば良いでしょうか?肉はただ十字架の上で釘を打って殺すしかないのです。パウロはこの事実を骨にしみるくらいに体験したので
“
私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか”(ローマ7:24)と嘆きました。そして日々に自分を殺して十字架の上で釘を打つと告白したのです(参照、Tコリント15:31;
使徒 2:20)。クリスチャンは肉体とともにその情欲と貪欲を十字架の上で釘を打った人々です(参照、使徒5:24)。ですから私たちは情欲が私たちをそそのかす時に
屈服してはいけません。私たちは肉的な衝動が起きる時きっぱりと退けなければなりません。ところで、この肉的な衝動は一度退いたとしても完全に無くなったりはしません。ですから、私たちはパウロのように日々私たちを十字架の上で釘を打たなければなりません。そうする時私たちのたましが幸いを得るようにすべての点において幸いを得て健康な人生を暮すようになるのです。 4.聖霊の支配を受ける人生の秘訣 私たちのたましいに幸いを得るためには聖霊様の支配を受ける人生を暮さなければなりません。それでは私たちがどのようにすれば聖霊様の支配を受ける人生を暮すことができましょうか? 先に、私たちが聖霊様の支配を受ける人生を暮すためには日々、聖霊様を認めて、歓迎して、迎え入れて、頼らなければなりません。そして絶えず祈らなければなりません。私たちが神様の前に伏 して切に祈る時に聖霊充満を受けるようになります。また私たちが聖霊様の支配を受ける人生を暮すためには日々に神様の御言葉を食べなければなりません。神様の御言葉は日用の糧と同じです。私たちが日用の糧を食べなければ肉 体の力を失うように霊の糧である神様の御言葉を食べなければ霊力を失うようになるのです。 また、私たちが聖霊様の支配を受ける人生を暮すためには伝道に力をつくし、集まるのに力をつくさなければなりません。伝道は霊的運動のようです。私たちが肉 体の運動をしなければ体が衰えるように、伝導をしなければ霊力が弱くなってしまいます。ですから、時はよくても悪くても伝道に力をつくさなければなりません。また、私たちが神様の名で集まって一緒に神様を礼拜して祈る時に聖霊充満を受けられるので、いつも集まるのに力をつくさなければなりません(参照、ヘブル10:25)。それだけでなく、私たちが聖霊様の支配を受ける人生を暮すためには聖霊様に逆らう罪を犯してはいけないのです。聖霊様は私たちの体を神殿とされます (参照、Tコリント6:19)。ですから、私たちが聖霊様の支配を受ける人生を暮すためには聖霊の神殿ある私たちの体を汚したり、聖霊様を悲しませてはいけないのです (参照、エペソ 4:30)。
1.私たちのたましいが幸いを得るためにはどうすればよいでしょうか? (勉強する内容参照) 2.私たちが聖霊様の支配を受ける人生を暮すためにはどうすれば良いでしょうか?(勉強する内容参照)
1.普段聖霊様の支配を受ける人生を暮すために、私たちがどんな努力をしているのかお互いに話して見ましょう。 2.あなたのたましいは幸いですか?
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