第1課 新生の福音
 

◎本文聖句 ヨハネ福音 3117

◎関連聖歌 208章、204

◎暗証聖句 “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとし
         て滅びることなく、永遠のいのちを持つためである”(ヨハネ
316

◎参考聖句 ヨハネ 112ローマ 10910Tペテロ11819

◎目標 1) 新生に至るまでの道を正しく知り、救いの確信を持ちましょう。
      2)救いを受けた人に約束された豊かな恵みを享受しましょう。

 

◎勉強する内容

 今日多くの人が自分を ‘クリスチャン’と思って教会に出席しています。しかし。彼らが皆新生の体験をしたでしょうか?自ら自分を‘クリスチャン’であると言っている人が皆新生した人でしょうか?今日はこの新生の教理に関して勉強します。

 

.新生の必要性

 初めに天地を創造された神様は宇宙と万物を美しく造られた後、最後の日に神様の形に似て人を造られました(参照、創世記126-27)。そしてアダムとエバのために ‘エデンの園’を準備されましたが、‘エデン’は ‘喜び’と言う意味で、言葉とおりに害もなく、足りないことも、傷もない喜びの園でした。そうですからアダムとエバはただ神様を礼拜してそのお話に従順しながら神様の国の管理者として神様が創造された万物を治めてれば良かったのです。

しかし、不幸にも彼らは神様のお話に不従順する罪を犯してしまいました。神様は園中央に善悪の知識の木を置いてアダムとエバにその木の実を食べる日には必ず死ぬとおっしゃいました(参照、創世記 2917)。この善悪の知識の木は神様の主権を象徴します。しかし、蛇の誘惑に負けたアダムとエバは神様の主権を無視してその木の実を取って食べてしまいました。

神様のお話に従順して神様だけに仕えなければならなかった彼らが、神様のお話を忘れて蛇の言葉を聞くことで神様の主権を踏み付けてしまったのです。これによって世の中に罪が入って来るようになったし、その罪の結果、人間に病と呪いと苦痛と労苦と死が来るようになりました。アダムとエバの犯罪によって彼の子孫である全人類が呪いと病と死の奴隷になってしまったのです。
 

2.イエス・キリストが開いてくださった新生の道

 神様は罪に堕ちて死ぬしかない人間を救うためにイエス・キリストをこの世に送ってくださいました。人間の肉体を着てこの世へいらっしゃったイエス様は十字架の上で死ぬことで罪と呪いと死の奴隷であった人類を救ってくださいました。それでは最初の人であったアダムが罪を犯して世の中に入って来るようになった病と呪いと死を最後のアダムである(参照、Tコリント1545 イエス・キリストがどのように解決して、救いの道を開いてくださったでしょうか?
イエス様は私たちのためにその尊い血潮を流されました。このことによって私たちに救いの道が開かれたのです。先ず、イエス様はピラトの庭で血を流されました。イエス様は十字架にかかる前にピラトの庭で死刑宣告を受けてむちに打たれました。イエス様は私たちの弱さを担い私たちの病と問題を解決してくださるためにむちに打たれて血を流されたのです(参照、Tペテロ
224)。

また、イエス様は頭にいばらの冠をかぶせられ血を流されました。イエス様がゴルゴタの丘に上られる前にローマ兵士たちがいばらの冠を作ってイエス様の頭にかぶせました。このいばらの冠が血管を突いてイエス様の顔に血が流れました。いばらは呪いを象徴します。イエス様はアダムの罪によって呪いの下にあった人類を贖うためにいばらの冠によって血を流されたのです(参照。使徒 313)。 それだけでなく、イエス様は十字架によって血を流されました。十字架によってイエス様の両手と両足には釘打たれました。また、釘を打たれたイエス様の両手と両足から血が流れました。イエス様が十字架で流された血はアダムの罪によった全人類の罪を清算して死を撤廃するための血でした。このように最後のアダムでいらっしゃったイエス様は罪によって死ぬしかない全人類に救いに至る道を開いてくださったのです。
 

3.新生の方法

 ヨハネ福音書 3章を見るとニコデモと言うユダヤ人の指導者が夜にイエス様を尋ねて来て、生まれかわることに対して申し上げました。ここでイエス様はニコデモに “人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません”(ヨハネ35)とおっしゃいました。ここで水は神様の御言葉を意味します。ですから、誰でもイエス様を迎え入れるためには先に神様の御言葉を聞かなければなりません。神様の御言葉を信じてイエス様を受け入れる時に新生に至るようになります。この時人間の知識や努力では神様の御言葉もイエス様が救い主であられることも信じられません。したがって聖霊様の助けが必要です。Tコリント123節を見ると“聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません”と記録されています。神様の御言葉を聞くうちに聖霊様がいらっしゃって悔い改めさせて、信仰が与えられてこそイエス様を救い主と信じ、受け入れ、救いに至るようになるのです。そう ですから救いに至る絶対的な要素は‘信仰’です。

数十年間教会に出席して礼拝を見物したことで救われるのではありません。また、聖書の知識だけをたくさん持ったとして救いを得るのでもないのです。罪を犯したにもかかわらず、罪を犯したまま主の御前に出てきて悔い改めて、イエス・キリストを救い主だと信じる人が救いを得られるのです。
 

4.新生の結果

 イエス・キリストを救い主として信じて生まれかわった人たちには神様の子どもになる特権が与えられます(参照、ヨハネ 112)。ですから、神様を ‘アバ父’と呼ぶことができるようになります(参照、ローマ 815)。また、生まれかわった人たちは父なる神様が人生のすべてとなるので、この世の中でどんな苦しみと患難が近付いても充分に乗り越えて幸せで意味ある人生を生きることが出来るのです。

また、イエス様を受け入れた人たちは ‘新しい被造物’となった人生を生きて行くことができます(参照。Uコリント517)。新しい被造物になった祝福は何よりもたましいが幸いを得る祝福です。イエス様の十字架を通して生まれ変わった私たちのたましいは御言葉と祈りを通じて真の平安と喜びと満足を得るようになります。そして、人生に対して肯定的で創造的で感謝する態度を持って生きて行くことができます。

それだけでなく、イエス様を迎え入れた人々は健康と長寿の祝福を享受するようになります。イエス様が私たちの病を癒すために鞭で打たれたので、神様を信じて頼る者には健康と長寿の祝福が与えられます。ですから、イエス・キリストを信じて生まれかわった人はたましいが祝福されることは勿論すべてのことが祝福され健康になる祝福を合わせて享受するようになるのです。
 

◎聖書研究

1.人々に新生が必要な理由は何ですか?(勉強する内容参照)

2.罪に溺れた人がどのようにすると生まれかわることが出来ますか?(勉強する内容参照)


◎交わりと適用

1.イエス・キリストを信じる前と後の暮らしをお互いに話して見ましょう。

2.あなたは救いの確信がありますか?また、イエス・キリストを救い主と信じて生まれかわった人が享受するたましい
  が幸いを得、すべての事に幸いを得、健康な人生を享受しながら暮していますか?