第21課 愛と幸せ (2014.11.26)

1.出会いと愛

愛は、自らの想像や推理を通して得られるものではありません。愛は、出会いを通して得られます。では、私たちが誰に出会えば、この愛を得られるのでしょうか?
私たちがこの世に生まれ、最初に出会う人は親です。私たちは、親を通して愛を得ます。私たちが親との出会いを通して得られる愛は、ギリシャ語で「ストルケ」と言います。私たちの人生において、親の愛が占める割合は非常に大きいのです。この世において、子供に対する親の愛を代われる人はいません。なぜなら、親は子供を本能的に愛するからです。それにもかかわらず、親の愛は有限です。なぜなら、親の愛は自分の子供に限られ、他人の子供を本能的に愛することができないからです。すなわち、子供に対する親の愛は限りない愛ですが、対象があり、制限的で、時間と空間においても制約を受けるので有限な愛なのです。
次に、私たちは友達と先生に出会うようになります。私たちが彼らと分かち合う愛は、精神的な愛で、ギリシャ語では「フィレオ」と言います。この愛は、学んで教えるという条件を通して作られ、友達との出会いを通して現れるようになります。しかし、この愛も関係が良い時はお互いを愛しますが、関係が悪ければ、愛も朽ちていきます。
その次に、私たちは異性との出会いを通して愛を分かち合うようになります。この愛は、ギリシャ語で「エロス」と言います。異性との愛は、肉体的要求を基礎とする愛です。人間の出会いを通した愛の中で、最も複雑な愛がまさに異性間の愛です。この愛は、肉体的に調和され、精神的に和合し、さらには制度的に確立されなければならないからです。しかし、この三つが円満に調和される男女はそう多くはありません。このように、人間はお互いの出会いを通してストルケの愛、フィレオの愛、エロスの愛をするようになります。このような愛は、人間が人生を営むのに必ず必要です。しかし、このような人間的な愛は、調和が壊れる時、その愛も壊れてしまいます。

2.神様の愛

人間の愛は、不完全です。しかし、神様の愛は完全な愛で条件がありません。このような神様の絶対的な愛の表現が、まさにイエス・キリストの十字架です。聖書に『キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、命を捨てるべきです。』(Ⅰヨハネ3:16)と記されたことは、神様が私たちに犠牲的な愛を与えられたことを教えています。愛の限度がどの程度なのかを調べるためには、障害物を置いてみればよくわかります。親の愛や友達の愛、異性間の愛は、障害物があると、いずれ壊れてしまいます。しかし、神様の愛は、どんな障害物があっても最後まで壊れません。
パウロは『私は確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。』(ローマ8:38∼39)と告白しました。ですから、神様の愛を受けた私たちは、お互いに愛する人生を生きなければなりません。これについて、聖書は『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。』(Ⅰヨハネ4:10∼11)と記されています。

3.愛の4つの要素

私たちが誰かを愛すれば、次のような現象が現れるようになります。
一番目、愛すれば、相手に対して深い関心を持つようになります。愛すれば、相手の必要が何かを調べ、また気分が良いのか悪いのかなど、相手の全ての面を詳しく探るようになります。ですから、私たちを愛される神様は、いつも私たちに関心を傾けられるのです。
二番目、愛すれば、相手の幸せについて責任を感じます。私たちが誰かを愛すれば、相手を幸せにしてあげなければならないという責任を感じるようになり、自分の全てのことを犠牲しても、相手の幸せを追求するようになります。妻を愛する夫は妻の幸せに対して責任を感じ、また夫を愛する妻も、夫の幸せのために努力をするようになります。
三番目、愛すれば、相手を尊く思います。「私はあなたを愛しています」と言いながら、相手に侮辱的な行動をすれば、その愛は本当の愛ではありません。私たちを愛する神様は、私たちと強圧的に接さず、人間的に接されます。このように、愛は相手を尊く思うことです。
四番目、愛すれば、惜しまず相手に与えることを願います。愛すると言いながら、相手のものを奪っていくだけならば、その愛は本当の愛ではありません。神様は、私たちの罪を贖うために、ひとり子イエス・キリストを十字架に差し出されたことで、私たちに向ける御自身の愛を示されました。(ローマ5:8)
今日、私たちに最も必要なものがあるならば、それはまさに愛です。この愛を与え、受けようとするならば、出会いを持たなければなりません。しかし、人間的な出会いを通して与え、受ける愛は限界があります。しかし、イエス・キリストの出会いを通して得られる神様の愛は、無限です。ですから、私たちが神様の愛を基礎として隣人を愛するならば、まことの幸せを享受するようになります。

◎聖書研究
1.私たちが人との出会いを通して得られる愛には、どのようなものがありますか?(勉強する内容)
2.愛の4つの要素は何ですか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.人との出会いを通して得る愛には限界がありますが、神様の愛は限界がありません。この二つの愛を体験した境遇を、お互いに話してみましょう。
2.あなたは、まことの幸せを享受していますか? あなたがまことの幸せを享受するためには、何をするべきでしょうか?