第19課 とげと恵み (2014.11.12)

1.神様がとげを与えられる理由

使徒パウロは、自分を誇るだけの多くの条件を持った人でした。彼を学問的に見る時、ローマの法律やギリシャの哲学について多くの知識を持っていただけでなく、ユダヤ人の律法の義においても非難されるところのない人だったからです。彼は、ピリピ3章5節と6節で『私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの別れの者です。きっすいのへブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です』と告白しました。また、パウロは霊の面でも優れた人でした。これについて、彼は『無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に―肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存知です、―第三の天にまで引き上げられました。私はこの人が、―それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存知です、―パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています』(Ⅱコリント12:1∼4)と語りました。そのため、神様はパウロが誇りすぎないように彼の肉体にとげ、すなわちサタンの使いを与えられました。(Ⅱコリント12:7)したがって、パウロはいつも神様の恵みと力を求めるしかありませんでした。
今日、私たちクリスチャンも程度の差はありますが、人それぞれ神様が許されたとげがあります。神様は、私たちが神様の真理から離れないようにする為に私たちに肉体のとげ、すなわちサタンの使いを送ります。このとげの為に私たちは、自分を頼らないで完全に神様だけ頼るようになるのです。

2.とげの種類

では、私たちに近づくとげは、どのようなものでしょうか?
一番目、弱さというとげがあります。ここで、弱さとは霊肉共に強くなく、虚弱なことを言います。私たちが偽りのものに頼って生きようとする時、神様は私たちにこの虚弱のとげを送り、神様だけ頼るようにされます。しかし、私たちが神様に頼れば、神様は私たちに新しい力を供給されます。これについて、聖書は『しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない』(イザヤ40:31)と記されています。
二番目、侮辱というとげがあります。侮辱とは、蔑視し、恥をかかせることを言います。私たちが神様の恵みを離れて、傲慢になれば、他の人たちから蔑視され、恥をかかせられ、心の苦痛を受けるようになります。私たちがこのようなとげに刺されるようになれば、悔い改めて、立ち返り、神様に頼るようになります。
三番目、苦痛というとげがあります。苦痛とは、非常に貧しいことを言います。神様は、愛する子供が世的な快楽や貪欲に陥ることを防ぐために苦痛というとげを許されます。私たちがこの苦痛のとげに刺さるようになれば、物質と世に背いて、ただ主だけに仕え、従うようになります。
四番目、迫害というとげがあります。迫害とは、強く締めつけられて苦しむことを言います。神様は、私たちが神様だけ頼るようにするために、私たちに社会的な迫害や環境的な迫害を許されます。
五番目、困難というとげがあります。困難とは、処理が難しいことを言います。暮らしが困難になって、仕事が手につきそうながらも、うまくいかなければ大変です。神様は、私たちの心を世に奪われないようにするために、時には私たちに困難というとげを許されます。

3.信仰のとげを喜びましょう

パウロはこのとげを去らせるために、三回も主に切に求めました。(Ⅱコリント12:8)しかし、主は 『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである』(Ⅱコリント12:9)とおっしゃられました。
一般的に家庭で親を最も頼る子供は、優れていて賢い子供ではなく、出来の悪い子供です。その子供は、自分の力では生きられないために、いつも親にくっつきます。親は、このような子供を振り放すことができず、限度を超えない程度でその子供の世話をしてあげます。同じように、神様は人々に神様の働きを任されるために力を与えることを願われますが、人々は自分の力だけを頼ろうとする傾向があります。ですから、神様はただ神様だけ頼るようにするために、人々にとげを送られるのです。
アブラハムは、75歳に神様から選ばれて、カルデヤ・ウルを離れて、神様が指示された所に向かって離れました。神様は、彼を選ばれ、祝福を与えられようとしますが、彼が完全に砕かれて、神様だけを頼るまでは、およそ25年という歳月がかかりました。ヤコブも自我が砕かれるまで20年の歳月が流れ、ヨセフは13年間、涙のとげの畑の道を歩いた後に、ようやく自我が砕かれました。そうかと思えば、モーセは自分の力でイスラエルの民族を救おうとしましたが、失敗してミデヤンの荒野に逃げました。彼は、そこで40年間、とげの畑の道を通過する間、砕かれて後、80歳の老人になって、ようやくイスラエルの民を出エジプトさせて、カナンの地に入ることができるように導きました。
神様の力と祝福は、私たちが砕かれる時に訪れます。ですから、私たちはとげを恐れないで、かえって喜ばなければなりません。そうすれば、私たちもパウロのように『ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう』(Ⅱコリント12:9)と告白できるようになるのです。

◎聖書研究
1.神様が使徒パウロに肉体のとげ、すなわちサタンの使いを許された理由は何ですか?(勉強する内容)
2.私たちに近づくとげは、どのようなものがありますか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.神様が各自に許されたとげは何であり、また神様がそれを許された理由が何だと思うのかをお互いに話してみましょう。
2.神様が許されたとげを喜んでいますか? そのとげをどのように克服していますか?