第18課 エマオに行く二人の弟子 (2014.11.5)

1.エルサレムを離れる二人の弟子

週の初めの日、二人の弟子は、メシヤとして知っていたイエス様が十字架につけられて死なれると、悲しみと失望を抱いてエルサレムを離れてエマオに行きました。この二人の弟子は、主の復活の喜びの知らせを信じないまま(ルカ24:1~12)、世の中に向かって行きました。彼らは、主が復活されたという知らせを聞きましたが、その事実を信じなかったので、希望を失い、エルサレムを離れるようになったのでした。
使徒パウロは、『そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです』(Ⅰコリント15:14)と語りました。使徒パウロが宣教した福音の核心は、イエス・キリストの十字架と復活でした。パウロは、イエス・キリストの死がイエス様御自身の罪による死ではなく、全人類の罪を贖われるための死であることを証明した事件が、まさに復活の事件だと語ったのです。パウロは、何よりもイエス・キリストの復活に対する希望を持っていたので、あらゆる苦難を克服し、大胆に福音を宣べ伝える宣教師になることができました。しかし、エマオに行った二人の弟子は、復活された主に彼らの希望を置かず、世の中に希望を置いていたので、エルサレムを離れるようになりました。パウロは、『もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です』(Ⅰコリント15:19)と語りました。ですから、私たちはこの世に希望を置くのではなく、復活された主に希望を置かなければなりません。

2.イエス様に出会った二人の弟子

二人の弟子は、エルサレムでイエス・キリストに起こった全てのことについて、お互いに話をしながら、エマオという村に向かって歩いていました。その時、イエス様が近づいて来られ、彼らと共に歩かれました。しかし、彼らは目がさえぎられていて、イエス様であることがわかりませんでした。すると、イエス様が『歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか』(ルカ24:17)と尋ねられました。これに対して、クレオパが、エルサレムでイエス様に起こった全ての出来事について説明しました。
主は、『ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか』(ルカ24:25~26)と叱責された後、モーセと全ての預言者から始め、聖書全体の中から、ご自身について書いてある事がらを彼らに解き明かされました。(ルカ24:27)
イエス様が教えられた聖書の内容は、キリストが苦難を受けて、ご自分の栄光に入らなければならないということでした。この時、二人の弟子の心が熱くなりました。また、イエス様が彼らと共に食事をされる時、パンを取って祝福され、裂いて彼らに渡されると、彼らの目が開かれ、イエス様であることがわかりました。(ルカ24:30~31)彼らは、主の御言葉を聞く瞬間、主を見る目が開かれるようになったのでした。ですから、エマオに行っていた二人の弟子は後にお互い『道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか』(ルカ 24:32)と言いました。今日、私たちがイエス・キリストについて正しく知り、また聖書について正しく悟るためにも、聖霊様の助けを受け、私たちの霊的な目がはっきり開かれなければなりません。

3.エルサレムに帰った弟子たち

復活されたイエス様に出会った二人の弟子は、エルサレムに帰ろうとする信仰を持つようになりました。(ルカ24:33)彼らは、復活されたイエス・キリストに出会った喜びのゆえに、これ以上エマオにとどまることができませんでした。彼らは、復活されたイエス様に出会ったことにより、御言葉と聖霊充満の状態になり、直ちにエルサレムにいる他の兄弟たちの元に戻り、主が復活された喜びの知らせを伝えたかったのでした。そして、彼らがエルサレムに戻ると、そこに集まっていた弟子たちも『ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された』(ルカ24:34)と言い、キリストが復活されたという話を分かち合っていました。その後、復活された主を証しました。
ペテロは、ローマで復活されたイエス様を証ししたことで、十字架に逆さまにつけられて殉教したと伝えられています。ヤコブはローマで、剣で首をはねられて殉教しました。(使徒12:2)それだけでなく、イエス様の多くの弟子たちが、主の復活を宣べ伝えて殉教したと言われています。イエス・キリストの復活を体験できなかった二人の弟子は、エルサレムを離れ、世の中を象徴するエマオに行きましたが、復活された主に出会った後には、再びエルサレムに戻りました。ですから、エマオに行った二人の弟子たちのように、信仰生活を送りながらも落ち込み、世の中に進む人は、直ちに復活されたイエス・キリストに出会って、再びエルサレムに戻らなければなりません。

◎聖書研究
1.エマオに行った二人の弟子が、失望した理由は何ですか?(ルカ24:20~21;勉強する内容)
2.エマオに行った二人の弟子が、エルサレムに帰った理由は何ですか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.信仰生活を送るうちに落ち込み、再び新しい力を得られた境遇をお互いに話してみましょう。
2.あなたは今、主の復活を確信し、その希望によって満たされていますか?