第16課 ベタニヤの三兄妹 (2014.10.22)

1.主の愛を受けた三兄妹

エルサレム付近のある小さい村ベタニヤにラザロとマルタとマリヤの三兄妹が暮らしていました。イエス様は、この三兄妹を特別に愛されました。(ヨハネ11:5)ですから、イエス様は公生涯の最後の残りの一週間、御自身の働きを終えるためにエルサレムに向かう途中、ベタニヤに住んでいるラザロとマルタとマリヤの家を、エルサレムに入る前日に訪問されました。以前にも、イエス様はマルタの招待を受けてこの三兄妹の家を訪問されたことがありました。(ルカ10:38)その時、マルタは自分の家に来られたイエス様を接待するために準備することが多く、忙しくしていました。しかし、妹のマリヤは主の足元に座り、主の御言葉を聞いていました。(ルカ10:39)マルタは、イエス様のところに行き、『主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください』(ルカ10:40)と言いました。イエス様は、『マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません』(ルカ10:41∼42)と言われました。イエス様のこの御言葉は、私たちに良い教訓を与えます。
今日、人々はマルタのように、多くのことを成し遂げてこそ人生を成功的に生きる、と考える傾向にあります。しかし、重要なのは外形的に成した業績ではなく、その中に盛られた内容の価値です。ですから、私たちが一つのことをしても、正しいことを選び忠誠にすることが、人生を成功的に生きることです。マリヤが選んだ一つのことは、イエス様の御言葉を聞くことによって、イエス様を中心に受け入れ、その方を愛することでした。
このように、私たちの人生において重要なのは、外形的な業績や報いではなく、神様を愛し、その愛の中にとどまることです。神様を中心に受け入れた人は、愛する人生を生きることができます。なぜなら、神様は愛だからです。Ⅰヨハネ4章16節を見れば、『私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます』と記されています。

2.試練を受けた三兄妹

私たちがイエス様に従い、その方を愛する人生を生きようとすれば、試練が伴います。しかし、私たちがその試練に打ち勝てば、主が与えられる栄光と喜びを享受するようになります。
イエス様の特別な愛を受けて、また主を愛するこの三兄妹の家に試練が訪れました。マルタとマリヤの兄であるラザロが病気にかかったのです。それで、妹たちがイエス様の所に人を遣わし、ラザロが病気にかかった事実を知らせました。(ヨハネ11:3)しかし、主は来られず、ラザロは結局、息を引き取りました。それから、四日を過ぎて、やっとイエス様がベタニヤに到着されました。マルタは、イエス様が来られるという言葉を聞いて、すぐに出て行き、迎えに行くと、『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう』(ヨハネ11:21)と恨みの混ざった言葉を言いました。また、マリヤも失望して家から出ず、ただ座っていると、(ヨハネ11:20) 主が来られたという言葉を聞いた後、急いで主の所に行き、『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう』(ヨハネ11:32)と言いました。イエス様は、マルタに『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか』(ヨハネ11:25~26)と尋ねられました。そして、ラザロの墓に行かれて大声で『ラザロよ。出て来なさい』(ヨハネ11:43)と叫ばれました。すると、死んだラザロが生きて出て来る奇跡が起こりました。主を愛する者に訪れる試練は、不信仰を捨てて、ただ神様だけに頼って信じるようにする訓練の過程に過ぎないのです。(Ⅰペテロ4:12~13)

3.マリヤの愛と献身

イエス様は、世の罪を背負われて十字架にかかるために、エルサレムに行く道で最後にラザロとマルタとマリヤの三兄妹の家を訪問されました。人類を贖うための重荷がイエス様の肩を抑えつけるので、イエス様も慰めを受けたいと願われたことでしょう。主は、御自身の愛を私たちに与えられるだけでなく、私たちの愛も受けたいと願われるからです。マリヤは、とても高価な香油、すなわち純粋なナルド(1)三百グラムを持って来て、イエス様の足に塗り、自分の髪の毛でイエス様の足をぬぐいました。家は香油の香りでいっぱいになりました。(ヨハネ12:3)イエス様に捧げたこのマリヤの愛と献身は、十字架の死を前にしたイエス様にとって大きな慰めとなったはずです。しかし、マリヤがしたことを見ていたイスカリオテ・ユダは『なぜ、この香油を三百デナリ(2)に売って、貧しい人々に施さなかったのか』(ヨハネ12:5)とマリヤを責めました。
私たちが真に価値のある人生を生きるためには、神様の愛を受けて、また神様を愛する人生を生きなければなりません。イスカリオテ・ユダは、マリヤの行いを無駄遣いだと言いましたが、イエス様はマリヤの愛と献身をほめながら、『世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう』(マタイ26:13)とおっしゃられました。

◎聖書研究
1.イエス様は、十字架で死なれるためにエルサレムに行かれる前日、誰の家を訪問されましたか?(勉強する内容)
2.イエス様の愛を受けて、また主を愛するラザロとマルタとマリヤに訪れた試練は何ですか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.マリヤの愛と献身を通して、悟った点をお互いに話してみましょう。
2.あなたが主のために、喜んで献身するべきことは何ですか?

(1)その当時、相当な高級な香油だったこのナルドは、粉と液体からなる二つの種類があったが、香料と医薬品、化粧品、葬式の準備物などとして使用された。
(2)新約時代に使われていた銀貨で1デナリは、労働者の一日の賃金に当たる。(マタイ20:2)