第14課 姦淫の現場で捕らえられた女 (2014.10.8)

1.姦淫の現場で捕らえられた女と第七の戒め

ある日の朝、イエス様が宮で多くの人々に御言葉を教えている時、律法学者とパリサイ人が姦淫の現場で捕らえた女を連れて来て、真ん中に置きました。彼らは目に殺気を帯びており、イエス様に「先生。この女は姦淫の現場で捕らえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか」(ヨハネ8:4∼5)と尋ねました。彼らがこのように言ったのは、イエス様を試して告発する条件を得るためでした。イエス様は何も語られず、身をかがめて指で地面に字を書きました。人々が続けてイエス様に答えを要求すると、イエス様は立ち上がられ、「あなたがたのうちで罪にない者が、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言われました。そして、再び身をかがめて、指で地面に字を書かれました。聖書には、イエス様が何を書いたのかは記されていませんが、最初に十戒を書かれ、二番目に石を持っている人々の隠れた罪を一つ一つ書いたのでしょう。人々はイエス様の御言葉を聞いて、良心を責め、苦しみを感じ、大人から若者まで一人ずつ離れ去り、イエス様とその真ん中に立っていた女だけが残りました。イエス様は、女以外に誰もいないのをご覧になられ、「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか」(ヨハネ8:10)と尋ねられました。女は、「だれもいません」(ヨハネ8:11)と答えました。すると、イエス様は「わたしもあなたに罪を定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8:11)と語られました。
律法に記録されたとおりに裁けば、この女は石に打たれて死ななければなりません。(申22:23∼24)しかし、イエス様は、十戒の中の第七の戒めに背いたこの女を助けられました。なぜなら、イエス様は十字架を通して新しい時代を開くため、この地に来られたからです。主がこの世に来られる前は、律法の裁きを受ける時代でしたが、主がこの地に来られてからは、赦しと愛の時代である御霊の原理の時代になりました。

2.新しい時代は新しい原理で

新しい時代は、新しい原理で開きます。ですから、イエス様の時代には旧約の律法が罪に定める権限が消え、新しいイエス様の原理が開かれるようになりました。イスラエルの民がモーセの導きで出エジプトし、シナイ山に上り、神様から十戒が記録された石の板を2枚受け取りました。これがまさに律法です。しかし、律法の行いでは、神様の御前に義とされる人は誰もいません。律法は、罪を悟るだけだからです。ですから、ローマ3章20節には、『なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。
律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです』と記されています。しかし、イエス様がこの地に来られた後、律法の時代は終止符を打ち、恵みの時代が開かれました。(ヨハネ1:17)
今日、私たちは代価なしに救いを得ました。だからと言って、何の代価もなく救われたのではありません。イエス様が十字架につけられ、体を引き裂かれて血を流されたことよって、律法の呪いから私たちを贖って下さいました。高価な代価を支払われることで、律法から解放され、自由に生きるようになりました。人間は弱い存在なので、時には過ちも犯します。その都度、十戒の第七の戒めに背き、捕らえられた女を罪に定めたサドカイ人やパリサイ人のように、律法では罪に定めます。しかし、イエス様は律法に向かって『律法の叫びは、静まれ。私が全ての律法を十字架で完成させた』と語られました。イエス様を信じる者は、律法のくびきを負って生きるのではなく、イエス・キリストによる恵みとまことを追って生きるようになります。(ヨハネ1:17)律法ではなく、キリスト・イエスにある命の御霊の原理によって生きるようになるのです。(ローマ8:1∼4)

3.恵みとまことを追って生きる生活

では、新しい時代に生きる私たちは、どうすれば恵みとまことを追って生きることができるのでしょうか?
一番目、イエス様の救いの恵みを信じて受け入れなければなりません。主は、「すべて、疲れた人、重荷を追っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われました。ですから、私たちがイエス様を救い主として受け入れる時、赦しと愛と聖霊の恵みが溢れるようになります。
二番目、悔い改めなければなりません。私たちが単純にイエス・キリストを救い主として受け入れることによって、救いの体験を止めてはなりません。イエス様を救い主として受け入れたのなら、過去の過ちを徹底して悔い改めなければなりません。また、罪を悟って悔い改めた後も繰り返して罪を犯すなら、真の悔い改めとは言えません。ですから、口だけで悔い改めるのではなく、悔い改めにふさわしい実を結ばなければなりません。
三番目、聖霊によって充満を受け、聖霊様の導きを受けなければなりません。律法は、私たちの行いがきれいか汚いかを照らし合わせて見る鏡にしかすぎません。また、律法は、私たちを盗み、殺し、滅ぼそうとするサタンと私たちの間に置かれている境界線にしかすぎません。ですから、私たちは律法によって、私たちの行いを点検し、サタンのわなにかからないように警戒することがあっても、律法に縛られてはいけません。

◎聖書研究
1.姦淫の現場で捕らえられた女は、何を根拠に罪に定められましたか?(申22:23~24;ヨハネ8:4~5;勉強する内容)
2.新しい時代に生きる私たちがどうすれば、恵みとまことを追って生きる事ができますか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.律法に縛られていたとき、キリスト・イエスにある命の御霊の原理を通して、自由を得た経験をお互いに話してみましょう。
2.あなたは、キリスト・イエスにある恵みとまことを追って生きていますか?