第13課 イエス様の道を用意したバプテスマのヨハネ (2014.10.1)

1.バプテスマのヨハネの出生と現れ

バプテスマのヨハネは、神様の特別な摂理によって生まれました。祭司ザカリヤと彼の妻エリザベツは、年もあり、老いていましたが、御使いが預言したとおりに息子を産みました。この子供がまさにバプテスマのヨハネです。バプテスマのヨハネは、神様の特別な摂理によってザカリヤが老いてから得た息子だったので、ザカリヤ自身はもちろん、隣人と親戚たちもみな喜びました。ザカリヤは、御使いからエリザベツが息子を産むという知らせを聞いた時、信じませんでした。ですから、ザカリヤは何日も言葉を話せず、御使いが指示したとおりに息子の名前をヨハネと決めると、すぐに口が開かれて、舌は解け、ものが話せるようになりました。このように、バプテスマのヨハネは神様の特別な摂理の中で産まれました。
このように産まれたバプテスマのヨハネが、最初に働きを始めた場所はユダヤの荒野でした。そこには、六つの町とそれらに属する町々がありましたが、(ヨシュア15:61∼62)彼はそこで一生懸命、福音を宣べ伝えました。バプテスマのヨハネは祭司でしたが、荒野で叫んだ代わりに、神殿で最初の職務を行いませんでした。しかし、アロンの子孫ではないイエス・キリストは時々、神殿で教えをされました。これについて預言者マラキは、「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る」(マラキ3:1)と預言しました。福音が荒野で始まったことは、荒野のような異邦の世界に対する神様の慰めを意味するものとして、預言者イザヤが預言した「わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、檜も共に植える」(イザヤ41:18∼19)という御言葉と、「荒野と砂漠は楽しみ」(イザヤ35:1)という御言葉が明らかに成就されました。

2.バプテスマのヨハネの使命

バプテスマのヨハネは、成長しながら霊が強くなり、イスラエルに現れる日まで荒野にいました。(ルカ1:80)また、彼は質素にらくだの毛の着物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べながら過ごしました。(マタイ3:4)バプテスマのヨハネの使命は、メシヤの道を用意することでした。ですから、彼は荒野に出て、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」 (マタイ3:2)と叫びました。そして、自分がまず主の道を用意しました。
その当時、社会的に宗教的に指導者の位置にいた律法学者やパリサイ人は、権威主義と形式主義に染まっており、一般の民も神様の選民であることを誇り、自分の行いによって義とされると考えました。ユダヤ人がこのような状況の中にいる時、バプテスマのヨハネは彼らの高ぶりと偽善を指摘するために遣わされました。バプテスマのヨハネは、イエス様がメシヤだと証しました。預言者マラキ以降、約400年間、預言者が見られなかったユダヤ人は、バプテスマのヨハネの叫びを聞いて、罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから水のバプテスマを受けました。このように、バプテスマのヨハネの使命がイエス・キリストの初臨を用意することであれば、今日私たちの使命はイエス・キリストの再臨を用意することです。ですから、バプテスマのヨハネが自分の使命を果たすために、ヘロデ王の過ちをとがめて殉教したように、私たちも私たちの使命を果たすために最善を尽くす人生を生きなければなりません。

3.バプテスマのヨハネを見習いましょう

バプテスマのヨハネから私たちが見習うべき点は、何でしょうか?
一番目、私たちはバプテスマのヨハネの謙遜を見習わなければなりません。バプテスマのヨハネは、イエス・キリストを紹介する時に「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」(マタイ3:11)と謙遜に語りました。また、彼は多くの人々がイエス様の所に行って、バプテスマを受けることを見て、「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:29∼30)と告白しました。
二番目、私たちはバプテスマのヨハネの不義と妥協しない姿勢を見習わなければなりません。バプテスマのヨハネは、悔い改めない人々に向かって「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか」(マタイ3:7)ととがめました。このように、どんな罪や不義とも妥協しない彼は、ヘロデ王の不義の行動を断固として叱責し、最終的に殺されてしまいました。(マルコ6:14∼29)
三番目、私たちはバプテスマのヨハネの透徹した使命感を見習わなければなりません。彼は、ユダヤの荒野でらくだの毛の着物を着て、腰には皮の帯を締めて、いなごと野蜜を食べて、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ3:2)と叫び、福音を宣べ伝えました。すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン川沿いの全地域の人々が彼の所に出て行き、自分たちの罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けました。(マタイ3:5∼6)このように、バプテスマのヨハネは、自分の使命を全うするために最善を尽くしました。ですから、私たちも主から受けた使命をきちんと全うするために、全身全力で進まなければなりません。

◎聖書研究
1.主の御前に出て来て、主の道を用意した人は誰ですか?(ルカ1:17;勉強する内容)
2.バプテスマのヨハネから、私たちが見習うべき点は何ですか?

◎交わりと適用
1.最後まで不義と妥協しないことによって、勝利できた境遇をお互いに話してみましょう。
2.神様から受けたあなたの使命は何ですか?その使命をきちんと全うするために、あなたが特別に力を尽くすべき点は何ですか?