第12課 北イスラエルと南ユダの滅亡 (2014.9.26)

1.北イスラエルの滅亡

紀元前730年に即位したホセアは、アッシリヤの政策を通して基盤を確保し、権力を維持しました。そして、アッシリヤ王ティグラテ・ピレセルが死ぬと、機会の隙間を見てアッシリヤに反旗を翻しました。ホセアは、エジプトに使者を遣わし、助けを要請しましたが、当時のエジプトは内政が不安定であり、北イスラエルを助ける状況にはなれませんでした。この時、アッシリヤ王シャマヌエセルは大群を率いて北イスラエルの首都サマリヤを包囲し、3年間攻撃しました。(Ⅱ列17:3~5)結局、紀元前722年北イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされました。アッシリヤは北イスラエルの多くの人々を捕虜として連れて行き、アッシリヤ国内のあらゆる地域に強制に移住させました。(Ⅱ列17:6)また、アッシリヤが統治していた他の地域の人々を、サマリヤの町々に移住させました。(Ⅱ列17:24) このようなアッシリヤの強制移住政策は、征服した地域の住民たちが反乱を起こさないように、事前に防止するためのものでした。強制移住政策は、数々の民族が結婚によって混ざり、宗教的にも混合される結果を生みました。この政策によって、イスラエルで最も大きな被害を受けた場所はサマリヤでした。サマリヤ人は、神様の選民だという誇りを持っていたユダヤ人と同じ民族として取り扱われませんでした。「そこで、サマリヤの女は言った。『あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。』ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。」(ヨハネ4:9)
北イスラエルが滅びた原因を、聖書はどのように説明していますか?一番目、北イスラエルの滅亡は偶像崇拝のためでした。Ⅱ列王記17章7節から8節には、「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。」と記されています。イスラエルの民は、悪を行った王に従って神様を裏切り、誤った道を歩み、異邦の神々にいけにえを捧げ、異邦人の風習に従いました。神様がイスラエルを選ばれた理由は、彼らが神様だけに仕え、神様に栄光を捧げて、多くの人々に神様を知らせるためでした。ですから、彼らが神様に仕えなければ、イスラエルは存在する理由がありません。また、神様はイスラエルが神様の御心通りに生きれば、カナンの地を永遠に与えるが、神様の御言葉を捨てて神様との契約を破れば、カナンの地で生きることはできないと言われました。(ヨシュア23:16) 結局、イスラエルの民は、神様に背いて偶像に仕え、神様の御言葉に従順しなかったので、滅ぼされ、カナンの地から追い出されました。
二番目、北イスラエルの滅亡は続けられた神様の警告のメッセージを無視したためでした。「主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。『あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、私の命令とおきてとを守れ。』しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。」(Ⅱ列17:13~14)神様は、北イスラエルが悔い改めて立ち返ることを願われました。さらに、預言者たちを通して警告のメッセージを送り、悔い改めることを促しました。それにもかかわらず、北イスラエルは高ぶり、長く忍耐される主・神様の恵みを捨て、信頼しないで悔い改めなかったので、滅ぼされてしまいました。

2.南ユダの滅亡

紀元前609年にヨシヤ王がメギドで死んだ後、ヨシヤの息子エホアハズ、エホヤキムと、彼の息子エホヤキンが続けて即位しました。エホヤキンはエルサレムを治めた3ヶ月後に、バビロンの王ネブカデネザルの侵略によって社会指導層の人たちと共にバビロンに捕らわれました。そして、南ユダの最後の王としてゼデキヤが即位しました。ゼデキヤ王の第9年に、南ユダはバビロンの侵略を受け、バビロンはエルサレムを3年間包囲して攻撃しました。「ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆の食物がなくなった。」(Ⅱ列25:1~3)バビロンによって3年間包囲されたエルサレムの町の中は、飢えによって悲惨な状況に至りました。この状況は、哀歌に詳しく記録されています。「しかし、彼らの顔は、すすよりも黒くなり、道ばたでも見分けがつかない。彼らの皮膚は干からびて骨につき、かわいて枯れ木のようになった。剣で殺される者は、飢え死にする者よりも、しあわせであった。彼らは、畑の実りがないので、やせ衰えて死んで行く。私の民の娘の破滅のとき、あわれみ深い女たちさえ、自分の手で自分の子供を煮て、自分たちの食物とした。」(哀歌4:8~10)南ユダは、飢えの中でバビロンの軍隊を防げませんでした。結局、紀元前586年にエルサレムの聖殿が燃やされ、町が破壊され、南ユダは滅ぼされてしまいました。

3.南ユダの教訓

私たちは、南ユダの歴史を通して次のような教訓を得ることができます。一番目、神様は王と民が犯す罪について長く忍耐されますが、黙って見過ごされず、戒めて裁かれます。ユダの民は、国が滅んで聖殿が燃やされ、自分たちが捕虜として連れて行かれたことは、主・神様が無力だからと考えました。しかし、ユダの滅亡が神様の能力不足だったからでなく、ユダの民が聖なる神様の民としての生活をして生きなかったからだ、と神様は言われました。
二番目、霊的な指導者が神様の御前に正しく立たなければ、信仰共同体の全体が危険に陥ります。北イスラエルと南ユダの歴史から詳しく見られるように、王が神様の御言葉に従順して正しく立たなければ、民も信仰に正しく立つことに失敗します。その結果、王だけでなく、民までも神様の裁きを受けました。信仰共同体は、指導者の信仰状態によってその運命が決定されます。ですから、私たちは信仰共同体の指導者たちのために、そして私たち自身のために祈るべきです。
三番目、神様は北イスラエルと同じように、南ユダにも預言者たちを通して、継続的に警告のメッセージを送りましたが、南ユダも北イスラエルと同じように神様に立ち返りませんでした。彼らは、神様の悔い改めを促すメッセージを聞きましたが、霊的に鈍感な状態になり、悟れませんでした。ですから、彼らは悪を行うことをためらいませんでした。南ユダが滅びた原因は、神様の御言葉がなかったからではなく、王と民が霊的な不感症になったためでした。今も神様は、私たちに絶えず語られています。私たちが聞こえないのは、神様が語られないからではなく、私たちが霊的に目を覚ましていないからかもしれません。ですから、まず神様と自分の間の関係を振り返り、神様の御心を尋ね、求める私たちにならなければなりません。
また、継続して送られた神様のメッセージを南ユダの民が無視したことは、エルサレムとダビデの契約に対して盲目的な信仰だったからです。彼らは、神様が住まわれるエルサレムの聖殿と、神様がダビデと結んだ契約がある限り決して南ユダは滅びない、という信仰を持っていました。彼らは、神様に頼るよりも見える聖殿や契約のような伝統を頼ったのです。しかし、結局彼らが信じていたエルサレムの聖殿も燃やされ、ダビデ王朝も滅ぼされました。神様は、ある一つの場所や伝統に縛られている方ではありません。神様は、御言葉に従順して、神様の聖さを現す民の中に住まわれます。神様の御言葉に従順して、真実で聖く歩む時、神様は彼らの中に住まわれて共におられます。
四番目、南ユダの滅亡によって、イスラエルの歴史は失敗でしたが、神様は決して失敗されません。契約に真実な神様は、エレミヤの預言どおりにイスラエルを回復されました。バビロンに捕虜として連行されたイスラエルの民を帰還させ、(ゼカリヤ2:1~2)聖殿を再建されました。(Ⅱ歴36:22~23; ゼカリヤ1:1~3)バビロンの捕虜から帰還した後も、イスラエルは続けて失敗しましたが、真実な神様は契約を成就されました。そして、神様は、イエス・キリストを通して私たちの失敗を回復され、神様の契約を成就されました。今日、イエス様を信じる者は誰でも罪を赦され、神様の子供になる祝福を受けるようになりました。また、神様の子供になった私たちは、アブラハムのように祝福の根源となりました。祝福の通路になった私たちが行く所は、どこでも祝福が臨むようになります。ですから、私たちは神様が備えられた回復の恵みと祝福を、世界に宣べ伝えなければなりません。

◎聖書研究
1.北イスラエルの最後の王は誰であり、どこの国によって滅ぼされましたか?(勉強する内容)
2.南ユダの最後の王は誰であり、どこの国によって滅ぼされましたか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.北イスラエルと南ユダの歴史を通して得た教訓の中で、自分に適用した点があれば、どんな点であったかをお互いに話してみましょう。
2.私たちは失敗しても、神様は失敗されない方です。神様は、約束の御言葉を成就される方です。今、あなたは、神様の約束の御言葉をつかんでいますか?