第10課 悪政を繰り広げたマナセ (2014.9.10)

1.マナセの罪

マナセは、父ヒゼキヤ王に続いて12歳で即位すると、55年間南ユダを治めました。(Ⅱ列21:1)彼は、ユダ王の中で最も長い期間、統治した王でした。しかし、彼は長い統治期間に数多くの罪を犯すことで、南ユダが滅ぼされるようになる直接的な原因提供者になりました。彼が犯した悪行は次のようです。
一番目、マナセはヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直しました。(Ⅱ列21:3)高き所は、高い場所という意味を持っています。カナン人は高き所を立てて、そこで自分の神々を礼拝して仕えました。さらに、彼は高き所で人を全焼のいけにえとして捧げたりもしました。(エレミヤ19:5)それで、神様はカナンに入るイスラエルの民に「その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳造をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない」(民33:52)と命令しました。しかし、マナセは逆に自分の父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、偶像を崇拝しました。
二番目、マナセはバアルのために祭壇を築き、アシェラのために木像を作りました。(Ⅱ列21:3)神様は、ただ神様だけに仕えることを要求されました。申命記4章23節には、「気をつけて、あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れることのないようにしなさい。あなたの神、主の命令にそむいて、どんな形の鋳造をも造ることのないようにしなさい」と記されています。マナセは、神様が最も憎まれる偶像崇拝をしました。
三番目、主の宮の二つの庭に、天の万象のために祭壇を築き、(Ⅱ歴33:5)アシェラ像を宮に安置しました。(Ⅱ列21:7)神様は、イスラエルの民に日、月、星を拝まないようにおっしゃられました。「また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、主が全天下の国々の民に分け与えられたものである」(申4:19)しかし、マナセは月と日、星を拝んだだけでなく、宮の庭に祭壇を築き、さらにはアシェラ像を宮に立てました。彼は、神様の臨在の場所である宮を汚しました。
四番目、マナセはその息子たちを異邦のいけにえとして捧げ、火の中にくぐらせました。(Ⅱ歴33:6)子供をいけにえとして捧げることは、当時の異邦の民族が戦争のような危機の瞬間に、神の怒りをやわらげるために行ったいけにえの儀式でした。(Ⅱ列3:27)このような人身のいけにえを行ったことは、マナセの信仰がどれくらい堕落していたのかをうかがえる出来事でした。
五番目、マナセは占い、まじないをしたり、霊媒や口寄せをしました。(Ⅱ列21:6)マナセは、国の重要な政策や政治を、呪術的な方法を用いて処理したのです。

2.神様の裁き

神様は、悪を行うマナセに次のように裁かれました。
一番目、神様はマナセの罪は、偶像崇拝によって悪い王として評価されているアハブの罪のようだと示されました。(Ⅱ列21:3)また、マナセとユダの民の罪が、イスラエルの子孫の前で滅ぼされた数々の民族よりももっとひどいと示されました。「ユダの王マナセはこれらの忌みきらうべきことを、彼以前にいたエモリ人が行ったすべてのことよりもさらに悪いことを行い、その偶像でユダにまで罪を犯させた」(Ⅱ列21:11)罪の性格によって見れば、南ユダと異邦の民族の罪は特に違いはありません。しかし、ユダの民は神様の選ばれた民であり、神様の律法を持つ人々でした。(Ⅱ列21:8)神様がご覧になられた時、彼らは知らずに罪を犯している異邦人よりもっと大きな罪を犯したのです。
二番目、神様は裁きの程度が激しいことをおっしゃられました。「それゆえ、イスラエルの神、主は、こう仰せられる。見よ。わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、二つの耳が鳴るであろう。わたしは、サマリヤに使った測りなわと、アハブの家に使ったおもりとをエルサレムの上に伸ばし、人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去ろう」(Ⅱ列21:12∼13)神様は、エルサレムと南ユダに災いを下すと示され、その時聞く者は、二つの耳が鳴るであろうと語られました。(Ⅱ列21:12)二つの耳が鳴るとは、神様の災いがそれほどひどく、聞く者がうろたえるほどであることを意味しています。(Ⅰサムエル3:11;エレミヤ19:3)
三番目、神様は「サマリヤに使った測りなわと、アハブの家に使ったおもりとをエルサレムの上に伸ばし」と示されました。サマリヤとアハブは北イスラエルを示し、測りなわとおもりは、正確な長さと垂直を測る建築道具です。神様は、建築道具をたとえとして用いられ、南ユダの罪を正確に測定することを示されたのです。(アモス7:7∼9;イザヤ28:17)また、神様は「人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去ろう」(Ⅱ列21:13)と語られました。皿をぬぐって伏せるとは、食事が終わり、食器を洗う姿を示します。すなわち、神様がエルサレムで民を追放することを意味します。神様の裁きは、お皿をぬぐい伏せたように徹底し、単純な破滅ではなく、きれいにされることが目的であることを意図したものです。「しかし、おまえの上に再びわが手を伸ばし、おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、その浮きかすをみな除こう。こうして、おまえのさばきつかさたちを初めのように、おまえの議官たちを昔のようにしよう。そうして後、おまえは正義の町、忠信な都と呼ばれよう」(イザヤ1:25∼26)
四番目、神様は裁きの方法によってユダを敵の手に渡すと示されました。Ⅱ列王記21章14節には、「わたしは、わたしのものである民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵のえじきとなり、奪い取られる」と記されています。残りの者とは、滅ぼされた北イスラエルの十部族を除いたユダとベニヤミン部族を言います。神様は、この残りの者が敵の手に滅ぼされることを示されているのです。結局、南ユダは紀元前586年にバビロンによって滅ぼされました。事実、南ユダが滅んだのはマナセの罪のためではありませんでした。イスラエルは出エジプトから始まり、続けて罪を行いました。従って、マナセの罪だけではなく、総体的なイスラエルの罪のために南ユダは滅ぼされるようになりました。Ⅱ列王記21章15節には、「それは、彼らの先祖がエジプトを出た日から今日まで、わたしの目の前に悪を行い、私の怒りを引き起こしたからである」と記されています。それにもかかわらず、マナセは上記で記された罪だけではなく、無罪の者の血を流す罪もしました。「マナセは、ユダに罪を犯させ、主の目の前に悪を行わせて、罪を犯したばかりではなく、罪のない者の血まで大量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった」(Ⅱ列21:16)マナセは政権をつかむために、周囲の多くの敵を攻めたでしょう。また、彼の宗教政策によって、当時の多くの敬虔な人々が殺されたはずです。ユダの伝承によれば、イザヤもこの時に殉教したと言われています。聖書はマナセを南ユダの滅びについて、責任を負わなければならないほどの罪人であると記されています。

3.マナセの悔い改め

続いた警告と裁きの御言葉にもかかわらず、マナセが従わないでいると、神様はアッシリヤによってユダを打つようにされました。アッシリヤの侵略によってマナセは捕まり、青銅の足かせにつながれたままバビロンに連れて行かれました。(Ⅱ歴33:10~11)アッシリヤの軍隊が捕虜たちを連れて行く時、鼻に鉤をさして、青銅の足かせで縛ります。(エゼキエル19:4)マナセは、このように悲惨な姿でアッシリヤの軍隊に連れて行かれました。すると、マナセは悔い改めて神様の御前に謙遜になりました。Ⅱ歴代誌33章12節から13節では、「しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った」と記されています。彼は、絶望的な状況に至ると、神様に切に求めました。徹底して自分を低くし、神様の救いと回復を切に求めました。彼が心から悔い改めて立ち返ると、神様は彼を回復されました。聖書の本文は、マナセを通して変わらない救いの希望があることを示しています。マナセはバビロンに連行されましたが、心から悔い改めて神様に赦しを受けて回復されたら、イスラエルも救われ、回復することができる意味があります。私たちが罪から立ち返り、心から悔い改めて神様を求めれば、神様はいつでも私たちに出会って下さいます。マナセをエルサレムに導き、回復されたように、私たちを回復して下さるのです。しかし、何よりも重要な事は神様の御心を求めて神様の御言葉通りに従順することです。その時、聖書に約束された全ての恵みと祝福を享受するようになるのです。

◎聖書研究
1.ヒゼキヤの息子として南ユダの王位に着いて、55年間統治した王は誰ですか?(勉強する内容)
2.マナセ王と彼の民の罪が極限に達すると、神様は誰によってユダを攻めるようにして、マナセを捕らえて行くようにされましたか?
(Ⅱ歴33:10~11)

◎交わりと適用
1.神様は偶像崇拝を憎まれ、裁かれます。今、あなたが神様よりもっと愛して追及するものは何ですか?
2.御言葉に従順することで、神様が約束された祝福を受けたことをお互いに分かち合って見ましょう。