第7課 ツァラアト患者になったウジヤ (2014.8.20)

1.ウジヤの初めの信仰

ユダの第10代王であるウジヤは、16歳で王位に着き、52年間エルサレムで統治しました。聖書は、ウジヤを主の目に敬虔で正直な王だったと評価しています。「彼はすべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。」(Ⅱ歴26:4)このようなウジヤを、神様は栄えさせました。栄えさせた理由が次で具体的に出てきますが、これは彼が神様を求めたからです。「彼は神を求めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた」(Ⅱ歴26:5)ここで「求めた」というへブル語は「ダラシュ」であり、「神様に求めた」という意味です。ウジヤは、神様を求めたので、神様が彼を栄えさせたのです。神様を求めるということは、自分に頼らないで神様だけに頼るという意味です。神様は、このような人を助けられ、栄えさせます。また、ウジヤが神様を求めていたのは、まさに神様の人ゼカリヤがいたからでした。ゼカリヤは黙示をはっきりと知り、王に助言して正しい道に導きました。ウジヤが栄えていた期間を見れば、ゼカリヤが生きている間でした。これは、ヨアシュがエホヤダの生きている間だけ正直に行い、栄えていた状況と同じです。(Ⅱ歴24:2,17~27)ウジヤはゼカリヤの助けを受けて神様を求めてきちんと仕え、神様の祝福を受けて強い国家を作りました。ここで私たちは、正しい霊的指導者一人の役割がどれくらい重要であるかを伺うことができます。ウジヤの強かった面を調べると、まずⅡ歴代誌26章6節から8節で「彼は出陣してぺリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤベネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並はずれて強かったからである」と記されています。ウジヤは周辺の国々を攻めて、領土を拡張し、彼の名はエジプトにまで及びました。また、エルサレムを強固にするために門とやぐらを立て、防御機能を強化し、家畜を育て、農土を改良し、農業生産量を増やしました。「ウジヤはエルサレムの隅の門、谷の門および曲がりかどの上にやぐらを建て、これを強固にし、荒野にやぐらを建て、多くの水ためを掘った。彼は低地にも平野にも多くの家畜を持っていたからである。山地や果樹園には農夫やぶどう作りがいた。彼が農業を好んだからである」(Ⅱ歴26:9~10)さらに、ウジヤはよく組織された強力な軍隊を率いました。族長であり、強い勇士だった人の数は2,600人で、彼の指揮下の軍勢は307,500人でした。彼の軍隊は盾、槍、かぶと、よろい、弓、石投げの石を準備しました。(Ⅱ歴26:11~15)ウジヤは、神様のすばらしい助けを得て、強くなっていきました。(Ⅱ歴 26:15)。

2.ウジヤの後の信仰

しかし、ウジヤはだんだん強くなっていくと、彼の心が高ぶり、悪を行うようになりました。これについて聖書は、「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入った」(Ⅱ歴26:16)と記されています。ウジヤは、神様の助けによって強くなったにもかかわらず、自ら心が高ぶり、結局祭司だけが行えることをしてしまいました。Ⅱ歴代誌26章17節から18節は、「すると彼のあとから、祭司アザルヤが、主に仕える八十人の有力な祭司たちとともに入って来た。彼はウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。『ウジヤよ。主に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である主の誉れは与えられません。』」と記されています。ウジヤがなぜ、直接主の聖所で香をたいたのかはわかりません。ただ、明らかな事実は、彼は自分の身分を越えて、祭司の権限を侵したということです。実際、ウジヤが強い国を導けたことは、自分の力ではなく、神様の祝福だったからです。神様の助けによって国をきちんと治め、戦争では常に勝利することができました。神様の御心通りに行った時、神様が彼を栄えさせたのです。しかし、国が強くなり、民の支持を得て、世に名が知られると、自分が何かをしたから得た結果だと考えました。そして、自分が直接神様に香をたくことまでしました。しかし、聖書は何をするよりかは、神様の御言葉と御心に従順することが何よりも重要であることを、続けて強調しています。ミカ書6章6節から8節は、「私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか」と記されています。神様は、いけにえを捧げることよりは神様の御言葉に従順して、謙遜に神様と共に行うことを願われます。神様は、そのような人を用いられ、祝福されます。

3.ウジヤの犯した罪の結果

ウジヤが祭司たちの引き止めにもかかわらず、怒り、最後まで香をたこうとすると、神様がすぐに介入されて、ウジヤに罰を下されました。
一番目、ウジヤはツァラアトに冒されました。Ⅱ歴代誌26章19節には、「ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、主の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現れた」と記されています。ツァラアトは、汚れたものとして宿営から追い出すように言われていた病気でした。(民数記5:2)結局、彼はツァラアトによって苦労し、惨めに死んでしまいました。
二番目、ウジヤは神様の民として捨てられた人生を生きるようになりました。彼は、合法的ではない方法で神様にいけにえを捧げて、死ぬ日まで主の神殿に入れない罰を受けましたが、(Ⅱ歴26:21)これは彼が神様の民として捨てられた人生を生きるようになったことを意味します。
三番目、他の人々と隔離された人生を生きるようになりました。どんなに尊い王だと言っても、一度ツァラアトにかかれば、王宮を離れなければならず、民に近づく事もできませんでした。ですから、彼はツァラアトにかかった後、他の人々と隔離されたまま別宮で寂しく生きなければならなかったのでした。Ⅱ歴代誌26章23節には、「ウジヤは彼の先祖たちとともに眠った。人々は彼を王たちの墓地の野に先祖たちとともに葬った。彼がツァラアトに冒された者だと言われていたからである。彼の子ヨタムが代わって王となった。」と記されています。高ぶった心は、サタンがもたらします。サタンは、神様のようになろうとして追い出されたので、高ぶる心は、いつでも神様のようになりたがります。サタンは、エデンの園でエバを誘惑する時にも「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを知っているのです」(創3:5)と言いました。ウジヤは、初めに正直に行い、神様を求めていた時には祝福を受けました。しかし、彼は後に心が高ぶり、悪を行った結果、惨めに死んでしまいました。ですから、私たちはウジヤのようにならないためには、初めの信仰と後の信仰が同じになるように力を尽くさなければなりません。

◎聖書研究
1.ウジヤの高ぶりは、どんな罪によって現れましたか?(Ⅱ歴26:16~18;勉強する内容)
2.ウジヤが神様の御前で罪を犯すと、彼にどんなことが起こりましたか?(Ⅱ歴26:21~23)

◎交わりと適用
1.高ぶって行った結果、困難にあった境遇や、正直に行って神様を求めた結果、祝福を受けた境遇をお互いに話してみましょう。
2.あなたは、どんな面でさらに謙遜にならなければならないと考えますか?