第1課 レハブアムとイスラエルの分裂 (2014.7.9)

1.レハブアムの愚かさ

レハブアムは、ソロモンの後に続いて王位に着きました。しかし、王位継承は決して簡単ではありませんでした。レハブアムは、シェケムに行って、全イスラエルに王として認められなければならなかったからです。事実、ダビデとソロモンの王国は、王を中心に南のユダと北のイスラエル部族とエルサレム王国が結合した形態でした。ダビデが初めに王だった時も、ユダ部族だけ王として迎えられました。(Ⅱサムエル2:1∼4)後に、北の部族は主の御前で契約を結び、ダビデに油を注いで、彼を王としました。(Ⅱサムエル5:1∼5)北の部族は、ダビデと結んだこのような契約(Ⅱサムエル5:3)を根拠に、自分たちが王を選ぶ権利があると考えました。それで、レハブアムは王になる時、北の部族に王として承認を得るためにシェケムに行ったのでした。(Ⅰ列12:1)レハブアムがシェケムに着くと、北の部族は「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう」(Ⅰ列12:4)と要求しました。イスラエルは、ダビデとソロモン時代に大帝国として繁栄し、富と栄華を享受しましたが、民は労働と高い税金によって苦しみました。これによって、ソロモンはイスラエルの民の恨みを強く買いました。レハブアムは、彼らに三日の猶予を要求し、長老たちと若者たちにそれぞれ質問をしました。まず、長老たちは「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう」(Ⅰ列12:7)と忠告しました。次に、レハブアムは若者たちに助言を求めました。ここで、若者(イェレッド)は長老より相対的に若い年齢を示し、彼らをからかって、低く呼ぶ言葉です。レハブアムが王位に着く時、年は41歳でした。(Ⅰ列14:21)そして、若者たちはレハブアムと共に育った人々でした。(Ⅰ列12:10)ですから、彼らが決して若者たちではなかったにもかかわらず、若者たちとして呼ばれたのは、彼らの無経験と軽率さを笑うための表現として見られます。若者たちは、「『あなたの父上は私たちのくびきを重くした。だから、あなたは、それを私たちの肩から、軽くしてください』と言ってあなたに申し出たこの民に、こう答えたらいいでしょう。あなたは彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう』と。」(Ⅰ列12:10∼11)と助言しました。ついに、レハブアムは三日後に自分の所に来た民に若者たちの諮問に応じて答えました。すると、十部族はレハブアムと決別を宣言しました。「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。エッサイの子には、ゆずりの地がない。イスラエルよ。あなたの天幕に帰れ。ダビデよ。今、あなたの家を見よ。」こうして、イスラエルは自分たちの天幕へ帰って行った。(Ⅰ列12:16)結局、レハブアムはユダの町々に暮らすイスラエルの子孫にだけ支持を受けて、彼らだけの王になりました。では、レハブアムが長老たちの忠告に従っていれば、良い結果を生み出せたのでしょうか?そうではなかったでしょう。長老たちの忠告にも問題がありました。長老たちは、ソロモンの時代にイスラエルの民に労働と税金を課した人物でした。彼らが「親切なことばをかけてやってくださるなら」、と言ったのは、根本的な対策というよりは、王として認められるために、ただ彼らが願う答えを臨時に言うことを勧めたものとして見られます。ですから、レハブアムが正しい決定をするためには、ダビデのようにまず神様の御前に進み、神様の御心を求めなければなりませんでした。ダビデは、困難にぶつかったり、国家的な危機に直面するたびに神様にひざまずき、御心を求めて、その御心通りに行いました。一つの例として、ダビデはサウルを避けて、逃げる身分にもかかわらず、ぺリシテ人がケイラを打つと、神様に「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか」(Ⅰサムエル23:2)と尋ねました。神様は、「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え」(Ⅰサムエル23:2)とおっしゃられると、ダビデは一緒にいた人々に反対されましたが、神様の御言葉に頼って、ぺリシテ人を打ち、ケイラを救い出しました。(Ⅰサムエル23:3∼5)命の危険を顧みずに救ったケイラの住民たちでしたが、ダビデはケイラの住民たちを神様より信頼しませんでした。サウルがケイラにいる自分を訪れて来た時、再び神様に御心を求めました。「ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか。サウルは、あなたのしもべが聞いたとおり下って来るでしょうか。イスラエルの神、主よ。どうか、あなたのしもべにお告げください。」(Ⅰサムエル23:11)神様がケイラの人々がダビデを引き渡すだろうと知らせられると、ダビデは未練なく、ケイラを去りました。レハブアムの過ちは、長老たちの諮問を聞かないことより、神様の御心を求めないことにありました。人々から答えを探すよりは、まず神様にひざまずいて、神様の御心を求めなければなりませんでした。一方、レハブアムの愚かな決定に国が南ユダと北イスラエルに分かれるようになったことは、決局、神様の御心によったものでした。Ⅰ列王記12章15節は、「王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである」とおっしゃっています。これは、神様がレハブアムを愚かにし、神様の御心を成されたということを意味しません。神様は、人間に自由意志を与えられました。自由意志は、神様の主権的な働きと衝突しません。レハブアムは、神様の御心を求めるよりは、自分の意思と判断によって若者たちの助言に従いました。神様は、このようなレハブアムの愚かさを神様の裁きの道具として使用されたのです。

2.レハブアムの統治

分裂された王国でしたが、レハブアムは強力な南ユダを建設し、混乱に陥った民の心を収拾しました。ユダとベニヤミンも一つになり、レハブアムに従いました。(Ⅱ歴11:12)また、北イスラエルの王ヤロブアムが自主的に祭司を立て、レビ人たちと主の祭司を解任すると、彼らは南に下って来て、レハブアムの元に帰って来ました。南に下って来た祭司とレビ人たちは、ユダを霊的に健康にして、人々にダビデとソロモンの道に歩ませました。彼らの助けによってレハブアムは、強固になりました。(Ⅱ歴11:17)3年という短い期間でしたが、人々は神様の御心にふさわしく生き、神様は南ユダに大きな祝福を許されました。このように、レハブアムが統治した南ユダが富強だった時期は、霊的指導者の指導によって民が神様との関係を正しく持った時でした。ですから、家庭や組織や国がうまく行くためには、まず聖い神様の人々が増えなければなりません。このために、私たちは祈るだけでなく、私たちも聖い神様の人になるように力を尽くさなければなりません。しかし、南ユダの繁栄は長くは続きませんでした。レハブアムは、国が強固で勢力が増すと、主の律法を捨てました。(Ⅱ歴12:1)彼は、主、神様が憎まれる高き所や偶像アシェラ像を立てて、仕えました。(Ⅰ列14:22∼23)合わせて、全ての民もまたレハブアムのこのような行為を見習って行いました。これに対して、神様はエジプト王シシャクを通して南ユダを戒められました。シシャクは、とてつもない兵力を引っぱって、エルサレムに攻めに来て、主の全ての宝と王宮の宝を奪って行きました。南ユダが存廃の岐路に立った時、預言者シェマヤはレハブアムとユダのつかさたちに次のように言いました。「主はこう仰せられる。『あなたがたがわたしを捨て去ったので、わたしもまたあなたがたを捨ててシシャクの手に渡した』」(Ⅱ歴12:5)神様は、レハブアムと民がシシャクの侵入を受けたことは、彼らがまず神様を捨てたからだとおっしゃられました。これに対して、イスラエルのつかさたちと王は自ら悔い改めました。すると、神様はまもなく救いを与えるだろうと答えられました。(Ⅱ歴12:7∼8)すなわち、エルサレムが完全に滅びないことをおっしゃられたのです。神様は、悪い王であっても、悔い改めれば赦して下さいます。神様は、異邦人の手で宮の宝を奪う辱めを受けることがあっても、王と民が悔い改めることを願われました。神様が願われる礼拝は、各種のいけにえではなく、真の悔い改めが伴う礼拝だからです。神様の御言葉どおり、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻めて来ましたが、エルサレムは滅びませんでした。神様のまもなく救われるという恵みが臨んだのです。レハブアムのそれ以後の行跡は、決して神様の御心にかなう人生ではありませんでした。「彼は悪事を行なった。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった」(Ⅱ歴12:14)彼は、主、神様だけを求めたり、頼ったりしませんでした。結局、聖書は彼について悪を行った王として評価しています。ですから、私たちは人生がつらく、困難な時だけでなく、豊かで余裕がある時にも変わらず、神様を求めて、探して、頼らなければなりません。環境によって変わる信仰ではなく、どんな環境の中でも揺れない変わらない信仰の人になる時、神様の祝福が臨むようになるのです。

◎聖書研究
1.イスラエルが南ユダと北イスラエルに分裂されたのは、どの王の時に成されたことですか?
2.神様はレハブアムが悪を行うと、エジプトの王シシャクを通して彼を戒められました。しかし、神様はレハブアムと南ユダを完全に滅ぼされませんでした。その理由は何ですか?(Ⅱ歴12:6)

◎交わりと適用
1.神様は、どんなに悪い者でも心から悔い改めれば、赦して下さいます。あなたは、赦して下さる神様に出会いましたか?
2.神様は平安な時にも、神様を探し求める信仰の人を願われます。今、私たちが平安の中にいるならば、隣人の苦しみと困難に同参して、彼らのために祈る聖徒になりましょう。