祭司の任職 (2016.5.25)

1.祭司の任職

アロンと彼の息子たちの祭司の任職は、モーセによって進められました。最初の日は、聖別すること、すなわち水で洗い、祭司の服を着てから、そそぎの油を頭に注いで聖別され(レビ8:2~13)、罪のためのいけにえと全焼のいけにえ、そして和解のいけにえと順番に進められました。(レビ8:14~32) 祭司の任職をする時、モーセは雄羊の血を、アロンと彼の息子たちの右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗りました。(レビ8:23~24) 耳たぶに塗った血は、聞くことの重要性を意味し、手の親指と足の親指に塗った血は、従順を象徴します。
今日、神様を礼拝する人々も、これと同じ心構えが必要です。礼拝者は、神様の御言葉を聞くことを慕い求めなければなりません。ローマ10章17節は、『そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです』と記されています。御言葉を聞くことを慕い求めて近づく時、私たちの信仰は日々成熟するようになります。また、御言葉を聞いて終わるのではなく、聞いた御言葉に従順しなければなりません。ヤコブ1章22節は、『また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません』と記されています。私たちが聞いた御言葉を生活の中で実践する時、その御言葉が、初めて生きる力の御言葉になり、私たちの生活を変える力になります。

2.祭司の職務の始まり

アロンと彼の息子たちは、任職後8日目に初めての公式的ないけにえを捧げました。最初にアロンは自分のために、罪のためのいけにえと全焼のいけにえを捧げ(レビ9:8~14)、 その後、民のために、罪のためのいけにえ、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、和解のいけにえの順番で捧げました。イスラエルの民は、大祭司たちのとりなしを通して、神様と霊的な関係を結んで生きることができました。しかし、祭司たちが、最初に自分たちのために、罪のためのいけにえを捧げたということは、神様の選択を受けた祭司も、弱く不完全な人間であることを示しています。
今日、私たちはアロンの位に等しい不完全な大祭司ではなく、メルキゼデクの位に等しい、永遠で完全な大祭司であるイエス・キリストを受け入れて生きています。(詩篇110:4、へブル5:1~10) 現在、私たちはイエス様を信じ、心に受け入れ、永遠の罪のためのいけにえを得て、神様と交わることができるようになりました。
いけにえを捧げ終えた後、モーセとアロンが民を祝福すると、神様が火を下し、祭壇の上の全焼のいけにえと油を焼き尽くしました。神様がアロンの最初のいけにえを受けられ、祭司職を認められたのです。神様がモーセに与えられた掟に祭司たちが完全に従順した時、神様はご自身の臨在を見せられ、民を祝福されました。神様に捧げる礼拝は、清く聖でなければなりません。私たちが神様の御前に清い心で礼拝を捧げ、神様の御言葉に従順して生きる時、神様は私たちと共に住まわれ、驚くべき祝福を与えられます。

3.ナダブとアビフの死

アロンの息子たちのうち、ナダブとアビフは、神様が示された全焼のいけにえの火(レビ6:12)ではなく、他の火を使って捧げました。すると、火が主の御前から出て、二人の息子を焼き尽くしてしまいました。彼らの死は不従順の代価であり、これからはこのような不従順をしてはならないという神様の警告でした。
全焼のいけにえの火も、生活の火も、すべて同じ火です。この程度の過ちで命を奪う神様の裁きは、理解できないかもしれません。しかし、神様が示された全焼のいけにえの火は、神様の聖さを意味します。聖さは、ヘブル語で「コーデシュ」と言いますが、この言葉は区別、違いという意味を持っています。祭司たちが香をたく時に、全焼のいけにえの火を使うことは、神様の聖さを認め、神様の御前に進み出る時に聖さを守る意味があります。特別に祭司として召された彼らは、神様の聖さを経験する特権を持っていました。(レビ10:3) この特権は彼らの祝福であり、誇りでしたが、大きな責任が伴うことでもありました。
ナダブとアビフが、全焼のいけにえの火で捧げなければならない、という神様の御言葉を無視し、異なった火で捧げたことは、神様の聖さを軽んじることでした。また、これは神様に対する恐れの心と、職務に対する忠実心が欠如した行動でした。
今日、私たちはイエス・キリストを信じさえすれば、誰でも神様の御前に進み出ることができます。これは驚くべき恵みであり、贈り物です。それゆえ、神様の聖さに対して、軽く考えやすいのです。私たちが神様を礼拝できる特権は、ただで与えられるものではありません。神様は、私たちを赦され、私たちと交わるために、ひとり子イエス・キリストの死、という大きな代価を支払われました。私たちは神様の恵みをいつも覚え、感謝しなければなりません。同時に神様の聖さを考え、神様の御前でひざまずいて礼拝する姿勢を持たなければなりません。

◎マナの要約
<祭司の任職>
1.神様を礼拝する人は、御言葉を聞くことを慕い求める心を抱かなければなりません。
2.私たちは、神様の御言葉を聞くことだけで終わらないで、従順する信仰を持たなければなりません。
<祭司の任職の始まり>
1.私たちは、罪を犯して問題が生じた時、必ずイエス様の十字架の恵みの前に行かなければなりません。
2.私たちが清く礼拝を捧げる時、神様は私たちの生活に祝福を与えて下さいます。
<ナダブとアビフの死>
1.神様は、愛と恵みの神様であられると同時に、聖の神様でもあられます。
2.礼拝を捧げる時は、神様を尊重し、愛する心で、謙遜に、神様の御前に進み出なければなりません。

◎私の生活のマナ
<隣の人とあいさつ>
1.神様の御言葉を慕い求め、従順して生きましょう。
2.イエス様は、私たちの永遠の大祭司です。
3.イエス様の十字架の恵みを日々覚えて、感謝して生きましょう。
<祈り>
1.神様の御前で聖なる礼拝が捧げられるように、清い心を下さい、と祈りましょう。
2.聖霊様から与えられた御言葉を聞くことができる耳と、従順することができる心を下さい、と祈りましょう。
3.世の中で、神様の聖さを現すことができる霊的指導者にして下さい、と祈りましょう。
<とりなしの祈り>
隣の人と祈りの題目を分かち合い、共に祈りましょう。