敬虔な時間 (2016.1.20)

1.敬虔の時間とは?

敬虔の時間とは、静かな場所で神様の臨在を感じ、そして、祈りと御言葉の朗読、黙想によって神様と交わる時間を言います。その中で特別に黙想について考えてみたいと思います。
黙想とは、神様の御言葉に耳を傾けること, 神様のことを考えること、神様のなされた行いを繰り返し言葉にすることなどの意味をもっています。黙想は主に立ち返り、その言葉に聞き従い神様に栄光を返すことを願う態度であり、神様を慕いながら神様と親密に歩むことです。
神様はヨシュアに、『この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い』と告げられています。(ヨシュア1:8)このように、聖書は黙想することを重要視しています。聖書を知識として知ることと、黙想するということには違いがあります。黙想は、聖霊様に頼り、悟るようにしてくださることを願いながら、御言葉を深く受け入れる姿勢です。黙想とは、神様の御声に聞き御言葉に従うことであり、主の臨在に従って生きていく方法を学ぶことです。神様は黙想を通して、アダムとエバの堕落以来、神様と人間の間に断絶された関係を回復し、私たちと親しく交わることを願っており、私たちがイエス様のように、神様の御心に従って生きていくことを願っています。(ヨハネ5:19) 私たちは聖霊様を頼り、御言葉を黙想しながら、私たちの生活が変わり、私たちが神様の道具として用いられることを望まなければなりません。私たちは黙想を通して、イエス様と親密な関係に入ることができます。(黙示録3:20)
また、黙想する時、御言葉の導きにより、毎日すべての不義に支配されないようになります。(詩篇119:133) そして、黙想は、私たちの品性と人格と生活が主に近づくようにさせ、私たちが霊的に未熟なまま留まらせず、成熟したキリストの人として成長するのです。(エペソ4:13)

2.神様との親密な関係についての例え

聖書は、私たちと神様との親密な関係を、4種類の例えを用いて説明します。
第一の例えはぶどうの木とその枝の例えです。枝がぶどうの木につながっているように、神様は私たちがイエス様につながっていることを願っています。(ヨハネ15:5)枝はその木につながっていることによって、養分を吸い取り、実を結ぶことができます。枝が木から分離されない限り、枝の命は木の命と一体となります。
第二の例えは、神様と神殿です。旧約時代の神殿は、神様が臨在している空間でしたが、聖書には私たちの体が聖霊の宮であると記されています。Ⅰコリント6章19節には、『あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか』と記されています。神様は遠くにおられる方ではなく、私たちの中に留まり、私たちの生活の中で働いておられる方です。
第三、キリストの新婦の例えです。旧約の預言者たちは、神様とイスラエルの関係を夫婦関係と、また荒野での40年を、神様とイスラエルの新婚生活と理解しました、(エレミア2:2~3、ホセア1~3章) 私たちも、イエス様を救い主として受入れることにより、イエス様と一つになり、キリストの新婦となります。(ヨハネ3:29、黙示録21:9)
第四に、牧者と羊の例えです。聖書は、しばしば私たちを神様の羊と記しています。(詩篇100:3) 羊の群れの周りには必ず牧者がいます。良い牧者である主は決して羊のそばを離れません。 
また、良い羊飼いは、羊のために命を捨てます。(ヨハネ10:11)羊飼いが羊に献身するように、イエス様は私たちに、すべてのものを与えてくださいました。

3.神様との出会いを持つ方法

神様との親密な出会いを持つためには、第一に罪の壁を取り除かなければなりません。聖書には、神様との出会いを一番に妨げるものは罪である、と記されています。イザヤ59章1~2節には、『見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ』と記されています。
第二に、祈りで神様を切に捜し求めなければなりません。箴言8章17節には、『わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける』と記されています。
第三に、御言葉を聞き、それに従わなければなりません。ヨハネ14章23節には、『だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます』と記されています。
聖書を見れば、私たちと神様との妨げない交わりが、決して例外的なものではなく、本来のものであることが分かります。神様と共に生きていく時、私たちは、神様の心を理解できるようになります。すべてのクリスチャンは、聖霊様の助けに頼る時に、神様との出会いを持つことができます。

◎マナの要約
<敬虔の時間とは?>
1.敬虔の時間とは、静かな場所で神様の臨在を感じ、また、祈り、聖書を読み、黙想しながら、神様と交わる時間です。
2.黙想は、私たちの品性、人格と生活が主に近づき、私たちが成熟したクリスチャンとして成長できるようにします。
<神様との親密な関係についての例え>
1.ぶどうの木とその枝、神様の神殿、キリストとその新婦、牧者と羊。
<神様との出会いを持つ方法>
1.罪の壁を取り除かなければなりません。
2.祈りで、神様を切に捜し求めなければなりません。
3.御言葉を聞いて、御言葉に従わなければなりません。

◎私の生活のマナ
<隣の人とあいさつ>
1.私たちは、敬虔の時間を毎日持たなければなりません。
2.イエス様はぶどうの木であり、私たちはその枝です。
3.私たちは神様の神殿です。
4.私たちはキリストの新婦です。
5.イエス様は私たちの牧者であり、私たちは羊です。
6.私たちは罪から離れ、いつも祈り、御言葉に従わなければなりません。
<祈り>
1.敬虔の時間を妨げるものをすべて取り除き、毎日敬虔の時間を持つことができるように祈りましょう。
2.神様の中で、私たちのアイデンティティをよく悟ることができるように祈りましょう。
3.罪を断固と退け、祈りと御言葉に全うすることができるように祈りましょう。
<とりなしの祈り>
隣の人と祈りの題目を分かち合って、共に祈りましょう。