あなたの名は何というのか (2015.10.28)

1.夜に出会ったヤコブ

『しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った』(創32:22) ヤコブは、二番目の息子として生まれました。(創25:25~26) ヤコブは、父が死ぬ前に長子を引き継ぐ祝福の祈りをしていることを知り、兄の服を着て、兄であるかのように振る舞い、目がよく見えない父をだまして、祝福を受けました。兄エサウがこの出来事によって弟ヤコブを殺そうとすると、それを知った母が、ヤコブをおじの家に逃がしました。ヤコブはそこでおじの羊を世話し、20年の歳月を過ごしました。20年が過ぎると、家族を連れて故郷に帰って来たヤコブは、兄エサウが自分を打つために、400人を引き連れて来た知らせを聞きました。ヤコブはこの知らせを聞いて非常に恐れ、自分の前に先立たせた多くの動物を兄に贈りました。(創 32:13~18) 兄が贈り物を受けたら、心が晴れると思って和解の贈り物を贈ったのでした。そして、夜を迎えました。ヤコブはあまり眠れず、二人の妻と女奴隷と11人の子供たちを起こして、まずヤボクの渡しを渡らせ、自分だけ残りました。(創32:24) ヤコブが一人だけ残った夜は、兄エサウがヤコブを殺そうと、20年間も待ち構えていた夜でした。ヤコブは一人だけ残って、死の恐れにとらわれ、絶望と苦痛の夜を明かしました。
私たちの人生にも、すべてのことを見送るべき夜が近づく時があります。すべての希望が断たれ、すべての人間的な方法を集めても解決できない夜が近づく時があります。

2.神様にしがみついたヤコブ

ヤコブがヤボクの渡しに一人だけ残った時、ある人が現れました。(創32:24) ヤコブは、彼が普通の人ではなく、神様の遣いであることを知り、彼と夜明けまで格闘しました。ここで「格闘する」という表現は、単に肉体的な力比べを意味するのではありません。格闘するように、夜明けまでしがみついて泣き叫び、切に求める姿を意味します。それほどヤコブは、今がつらく、困難な状況を迎えていました。絶望の夜を迎えて、ヤコブはこの人が自分を助けてくれることを信じ、あるだけの力を尽くして、しがみついて切に求めました。ヤコブが自分をつかみ、夜が明けるまで最後までしがみついたので、彼はヤコブのもものつがいを打って外しました。(創32:25) それにより、ヤコブは普通に歩けない障害者になり、エサウから逃げることができないようになりました。神様は、ヤコブのもものつがいを打って、完全に外しました。
もものつがいが外れたことは、欺く悪賢さや高慢など、すべてのことが決定的に砕かれ、崩されたことを意味します。しかし、ヤコブはものつがいが外れて苦しい状況でも、神様の遣いをつかんで、祝福して下さらなければ去らせないと言いました。『するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブ は答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」』(創32:26)

3.答えられたヤコブ

砕かれて泣きながら切に求めるヤコブに、神様は「あなたの名は何というのか」と尋ねました。(創32:27) その時、ヤコブは「ヤコブです」と答えました。ヤコブという名前は、彼が生まれた時、双子の兄であるエサウのかかとをつかんで生まれたことから付けられた名前です。その名前には、詐欺師という意味が込められています。彼は、いつも他人の足を引っかけて、倒し、奪い、追いかけられて、逃げる人生を生きて来ました。そんなヤコブの名前を、神様はイスラエルと変えられました。(創32:28) その意味は、「神様と戦って勝った。神様が治められる」です。他人のかかとをつかんで倒すヤコブとして生きないで、神様をつかんで生きるように、という意味です。人生の方向が自分中心から神様中心に変われば、神様がその人生を導かれ、祝福される、という意味です。過去のヤコブは死に、新しい命、新しい存在として生まれ変わりました。新しい人を身に着せられたのです。(エペソ4:22~24) ヤコブが神様と格闘して勝ち、ペヌエルを通り過ぎる時、人生の夜は過ぎ、まぶしい朝が明るく迎えました。『彼がペヌエルを通り過ぎたころ,太陽は彼の上に上ったが,彼はそのもものためにびっこをひいていた。』(創32:31) ペヌエルは、神様の顔を意味します。ペヌエルの浮かぶ太陽の前で、ヤコブの生活の影、人生の影は、すべて退かれました。ヤコブの名前がイスラエルに変わった後、最初に訪れた祝福は、兄との和解でした。兄エサウは、遠くから憔悴した姿で足を引きずるヤコブを見ると、心の憎しみが瞬間に消え、憐れむ心が生じました。エサウは走って行き、ヤコブを抱き、共に泣きました。(創33:4) 兄が400人を引き連れて来る時は、憎しみと復讐心に燃え、ヤコブを殺そうと決めていましたが、ヤコブはすでに神様の人になったので、神様がエサウの心を溶かされました。
私たちが環境を変えようと努力をしなくても、神様の御前で自分を放棄し、神様だけをつかんで頼れば、神様はその環境を変えて下さるのです。問題が祝福に変えられ、危機がチャンスに変えられ、悲しみが喜びに変えられるのです。

◎マナの要約
<夜に出会ったヤコブ>
1.ヤコブは、兄が贈り物を受けたら心が晴れると思い、和解の贈り物を贈りました。そして、夜を迎えました。
2.ヤコブが一人だけ残った夜は、兄エサウがヤコブを殺そうと、20年間待ち構えていた夜でした。
<神様にしがみついたヤコブ>
1.ヤコブがヤボクの渡しに一人だけ残った時、ある人が現れました。ヤコブが彼をつかみ、夜が明けるまで最後までしがみつくと、彼はヤコブのもものつがいを打って外しました。
2.ヤコブはもものつがいが外れ、苦しい状況でも、神様の遣いをつかんで、自分を祝福して下さらなければ去らせない、と切に求めました。
<答えられたヤコブ>
1.ヤコブが夜明けまで格闘し、神様の祝福を受けると、20年間も抱いていたエサウの恨みが消え去りました。
2.私たちが環境を変えようと努力をしなくても、神様の御前で自分を放棄し、神様だけつかんで頼れば、神様がその環境を変えられます。

◎私の生活のマナ
<隣の人とあいさつ>
1.人生の夜は、主が訪ねて来られる時間です。
2.答えが来るまで、叫んで祈りましょう。
3.すべてのことを神様に委ね、神様の衣のすそをつかんで切に祈る時、神様が私たちにペヌエルの朝を与えられます。
<祈り>
1.人生の夜、苦難の夜が近づいても、私たちの信仰が弱まらず、神様にもっと近づき、交わりの時間を持つことができるように祈りましょう。
2.絶望の夜に出会った時、ヤボクの渡しのヤコブのように、切に粘り強く祈り、神様から答えられる私たちになるように祈りましょう。
3.真の祝福は、神様に出会い、罪の赦しを受け、霊的に変えられ、聖霊充満になることです。私たちが霊的にまず変えられ、聖霊充満になるように祈りましょう。
<とりなしの祈り>
隣の人と祈りの題目を分かち合って、共に祈りましょう。