アブハラムの従順 (2015.10.14)

1.イサクを全焼のいけにえとして捧げなさい

イサクが成長して、父アブラハムと同行できる年齢になった頃、神様がアブラハムを試練に会わせるために呼びかけました。アブラハムに、青天の霹靂のような命令が下されます。『神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全燃のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」』(創22:2)
古代の中近東地方では、自分の子供をいけにえとして捧げる制度がありました。しかし、新約聖書はもちろん、旧約聖書でもこのような人身のいけにえは禁じられていました。(レビ18:21)しかし、人身のいけにえを嫌う神様は、アブラハムにイサクを全焼のいけにえとして捧げるように命じられました。すなわち、これは文字通りの試練や訓練であって、神様の本当の御心ではないことがわかります。

2.イサクを全焼のいけにえとして捧げようとするアブラハム

アブラハムは、イサクと共に決断の道を行きます。『アブラハムは全燃のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った』(創22:6) 全焼のいけにえは、犠牲の捧げ物を完全に燃やして神様に捧げるので、たきぎが必要です。これに対して、アブラハムは、全焼のいけにえに使うたきぎをイサクに背負わせました。イサクが自分を捧げる手段であるたきぎを背負ったことは、ゴルゴダの丘に向かって十字架を背負ったイエス様を現します。また、それは弟子たちが行くべき道でもありました。『それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」』(マルコ8:34) そして、アブラハムとイサクは、神様が告げられたいけにえを捧げる場所に到着しました。『ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた』(創22:9) その所でアブラハムは、全焼のいけにえを準備しました。まず、祭壇を築き、たきぎを並べました。そして、息子イサクをアブラハムが自分で縛りました。そして、縛った自分の子を、祭壇の上のたきぎの上に置きました。
ここで、イサクの従順を見ることができます。彼は、十代の青少年でした。百二十才になる年老いた父が自分を縛るのに、何の抵抗もせず、素直に従ったことは、神様に絶対従順する父に、徹底的に従うイサクの姿が見えます。また、黙ってイサクが縛られたことは、十字架につけられたイエス様の姿を連想させます。
アブラハムは、息子を縛ってから、刀を取りました。『アブラハムは手を伸ばし,刀を取って自分の子をほふろうとした』(創22:10) アブラハムの行動には、何のためらいもありませんでした。神様が指示されたいけにえの場所に到着してから、ここまですべての手順を定められた順序にためらうことなく進めました。
ここでアブラハムは、真に刀を取ってほふろうとしたことがわかります。約束の子供であるイサクをいけにえとして捧げなければならない絶対危機の中で、アブラハムが取った行動は、以前の行動と確実に異なっていました。イサクをいけにえとして捧げる姿には、便宜的な方法でも、人間的な方法でも、また偽りでもありませんでした。アブラハムの信仰の告白(創22:8)通り、彼は、神様が自分のために自らいけにえを準備されることを信じました。

3.アドナイ・イルエ

アブラハムが刀を取ってほふろうとすると、主の御使いがアブラハムに急いで呼びかけます。『そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります」』(創22:11) 最初の聖書には、「主の使いが彼に叫んだ」とあります。また、この時の緊迫した状況は、主の御使いがアブラハムを二回続けて呼んだことから分かります。すると、アブラハムが「ここにおります」と答えました。続けて、主の御使いがアブラハムに、「イサクに手を下してはならない。その子に下してはならない」と強く言いました。『御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた」』(創22:12)
息子イサクを捧げる信仰を見られた神様は、アブラハムの信仰を認められました。主の御使いは、アブラハムが試練に合格したことを知らせました。そして、アブラハムは角をやぶにひっかけている雄羊を発見しました。(創22:13) アブラハムはこの雄羊を取り、イサクの代わりに全焼のいけにえを神様に捧げました。神様の備えは、遠い所にありません。目を上げて見える近い所に、神様の備えがあります。アブラハムは、その場所を「アドナイ・イルエ」と名づけました。(創22:14) なぜなら、その場所で主・神様が必要なものを準備されたからでした。

◎マナの要約
<イサクを全焼のいけにえとして捧げなさい>
1.イサクが成長して、父アブラハムに同行できる年齢になった頃、神様はアブラハムを試練に会せるために呼びかけました。
2.人身のいけにえを嫌う神様は、アブラハムにイサクを全焼のいけにえとして捧げるように命じました。
<イサクを全焼のいけにえとして捧げようとするアブラハム>
1.アブラハムは、全焼のいけにえに使うたきぎをイサクに背負わせました。
2.イサクが自分を捧げる手段であるたきぎを背負ったことは、ゴルゴダの丘に向かって十字架を背負われたイエス様を現します。
3.アブラハムが刀を取ってほふろうとすると、主の御使いがアブラハムを急いで呼びました。
<アドナイ・イルエ >
1.主の御使いはアブラハムに、「イサクに手を下してはならない」と強く言いました。
2.アブハラムは、角をやぶにひっかけている神様が備えた雄羊を発見して、それをイサクの代わりに全焼のいけにえとして捧げました。

◎私の生活のマナ
<隣の人とあいさつ>
1.神様が私たちに与えられる信仰の訓練を、上手に乗り越えましょう。
2.従順の人になりましょう。
3.神様は私たちのために、良いものを備えておられます。
<祈り>
1.私たちの信仰が日々、堅固されるように祈りましょう。
2.アブラハムのように、従順の人になるように祈りましょう。
3.信仰の目を上げて、神様が備えられた驚くべき祝福を見上げるように祈りましょう。
<とりなしの祈り>
隣の人と祈りの題目を分かち合って、共に祈りましょう。