第21課 幸せな人生の条件 (2015.5.27)

1.神様に栄光を捧げる人生

私たちが幸せな人生を生きるためには、日々、神様に栄光を捧げる人生を生きる決心をしなければなりません。人間は、人生の意味と目的がはっきりしない時、さまよいます。人はどこから来て、何のために生き、どこに行くのか分からず、さまようしかないのです。
では、誰がさまよう人々に真の人生の意味と目的を持たせて下さるのでしょうか? 私たちに永遠の人生の意味と目的を持たせてくれる方は、イエス・キリストお一人だけです。イエス様は、アダムの堕落後、さまよう人々に真の人生の意味と幸せを与えるために、この地に来られました。したがって、誰でもイエス・キリストを心に受け入れる時、永遠の人生の意味と目標を受けるようになります。このように、イエス様から永遠の人生の意味と目標を受けた人は、「どうすれば、主に栄光を捧げることができるだろうか?」と、主を中心にする人生を生きるように努力しなければなりません。聖書には、『こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい』(Ⅰコリント10:31)と記されています。したがって、私たちが幸せな人生を生きるためには、神様に栄光を捧げる人生を生きるように努力しなければなりません。

2.御言葉と祈りの生活

私たちが幸せな人生を生きるためには、まずたましいの糧を食べなければなりません。人はたましいを持っているので、肉体の糧を食べるだけでは、幸せな人生を生きることができません。肉体の糧を食べると同様に、魂の糧も食べなければなりません。
では、私たちのたましいの糧は何でしょうか? それは神様の御言葉です。神様の御言葉を糧とする人は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制のような御霊の実を豊かに結び、幸せな人生を生きることができるのです。(ガラテヤ5:22~23) 次に、私たちが幸せな人生を生きるためには、祈らなければなりません。祈りは私たちの魂の呼吸であり、神様との対話です。私たちが人々と親密になるためには対話が必要であるように、私たちが神様と親密に過ごすためには、祈らなければなりません。祈りを通して、私たちが神様と親密になれば、幸せな人生を生きることができるようになります。それだけでなく、私たちが祈れば、聖霊によって満たされ、喜びと知恵が満ち溢れ、どんな環境も克服できるようになり、幸せな人生を生きることができるようになります。したがって、私たちが幸せな人生を生きるためには、日々神様の御言葉を読み、聞き、黙想し、絶えず祈らなければならないのです。

3.癒された心

私たちが幸せな人生を生きるためには、心の病気が癒されなければなりません。では、私たちの心を病ますものは何であり、どのように対処するべきでしょうか?
一番目、私たちの心を病ますものは、憎しみ、怒り、恨み、挫折、否定的な感情です。このような否定的な感情は、私たちの心を破壊する爆発物と同じです。したがって、このような否定的な感情が私たちの心を占領しないように、私たちは心を堅く守らなければなりません。聖書には、『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく』(箴言4:23) と記されています。また、私たちの心の中で否定的な感情が生じる時、環境を見つめないで、すべてのことを働かせ、益として下さる神様を見上げなければなりません。
二番目、私たちの心を病ませるものは罪責感です。私たちが罪を悔い改めた後も、続けて罪責感を持っていれば、幸せな人生を生きることはできません。罪を犯した後に悔い改めて、罪から離れたならば、神様に赦された確信を持たなければなりません。罪責感には、偽りの罪責感もあります。これは、罪ではないにもかかわらず、罪だと思って自分を責めることですが、これも心を病ませます。したがって、偽りの罪責感も、イエス・キリストの血潮で、すべて洗い清めなければなりません。血潮で洗い清めた時、幸せな人生を生きることができます。

4.家族と隣人のための善い施し

私たちが幸せな人生を生きるためには、家族と隣人に善い施しをしなければなりません。今日の人々は誰も忙しい生活を送るので、家族との対話の時間を持つということは、容易ではありません。しかし、夫婦間で、また親子間でお互いに対話する時間を失った家庭は、幸せな人生を生きることはできません。したがって、家族間でお互いに対話の時間を持てるように、私たちは努力しなければなりません。
この社会の中で、人間は一人では生きられない存在です。もし、私たちが自分のことだけを考え、自分中心の利己主義に陥れば、自分はもちろん、他の人々にも不幸を招きます。だからこそ、私たちは利己主義を捨て、家族はもちろん、隣人にも善を施そうと努力しなければなりません。では、私たちが家族や隣人に対して、何によって善を施すことができるのでしょうか?
私たちが家やと隣人に施すことができる最高の善い行いは、彼らにイエス・キリストを伝えることです。イエス様は、この世のすべての人々が得ようとする幸せと喜びを持っておられ、ただイエス・キリストの中にだけ、人生の真の意味と目的があるからです。したがって、私たちは時が良くても悪くても、イエス・キリストの福音を伝えなければなりません。(Ⅱテモテ4:2) さらに、すべての家族が共同で、不遇な隣人に対し、暖かい愛と、心を込めた物質を分け与える人生を生きなければなりません。私たちが他人を助ける時、やりがいを感じるようになり、喜びが満ち溢れ、幸せな人生を生きることができるようになるのです。幸せは、偶然に近づいて来ません。私たちが能動的に、幸せの種を植えなければなりません。そうすれば、その幸せの種が30倍、60倍、100倍になって私たちに返って来るようになります。

◎聖書研究
1.私たちはどのようにすれば、幸せな人生を生きることができますか?(勉強する内容)
2.私たちが家族や隣人に施せる最高の善い行いは、何でしょうか? (勉強する内容)

◎交わりと適用
1.幸せな人生を生きるために、どんな努力をしているのか、お互いに話してみましょう。
2.あなたは家族や隣人に、どのような善い行いを行っていますか?