第15課 ヨブの信仰 (2015.4.15)

1.神様を恐れたヨブ

ヨブは潔白で正しく、神様を恐れ、悪から遠ざかっていた者でした。ヨブ記1章1節を見れば、『ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた』と記録されています。このように、ヨブは神様を恐れる人生を生きようと努力しただけでなく、子供たちも聖く生きるように養育しました。ヨブの息子たちは、自分の誕生日を迎えれば、それぞれ自分たちの家で祝宴を開き、彼らの三人の姉妹も招き、一緒に飲み食いしました。(ヨブ1:4) そして、ヨブは彼の息子たちの祝宴の日が一巡すると、彼らを呼び寄せ、聖別する儀式を行いました。ヨブが彼の息子たちを呼び寄せ、聖別する儀式を行ったのは、彼らが祝宴を通して、心の中で神様を呪ったかもしれないと思ったからです。ヨブ記1章5節を見れば、『こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない。」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた』と記録しています。このように、ヨブは神様を恐れる人生を生きるために、いつも神様の御言葉によって自分を照らし合わせ、悪はどんな悪でも避けようと努力していました。(Ⅰテサロニケ5:22) ですから、神様はサタンに『おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが』(ヨブ1:8)と言われました。

2.神様の摂理を信じたヨブ

神様が認めるヨブにも、試みが訪れました。ヨブは、ある日、突然訪れた自然災害によって、子供たちが死んだだけでなく、彼が持っていたすべての財産も異邦人たちに略奪される、本当に過酷な試練に遭うようになりました。しかし、ヨブはこのような患難の中でも、神様の摂理を信じていたので、かえって地にひれ伏して神様を礼拝しました。(ヨブ1:20) そして、『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え。主は取られる。主の御名はほむべきかな』(ヨブ1:21) と告白しました。これは、どれくらい驚くべき信仰の告白でしょうか。ヨブは、自分の出生の根拠や、自分が世の中で享受しているすべての物質の根源が神様だということをはっきりと知っていました。ですから、患難に遭った時、神様に向かって不平を言ったり、つぶやいたりしないで、かえって命の泉である神様に、栄光と賛美を捧げました。ヨブ記1章22節を見れば、『ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった』と記録されています。このように、神様の摂理を信じる者は、どんな環境に置かれても、神様に向かってつぶやいたり、不平を言ったりせず、かえって神様に賛美をするのです。

3.信仰を守ったヨブ

ヨブは子供と物質をすべて失うという試みに続いて、自分の体まで病に侵される激しい患難に陥りました。サタンがヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打ったからです。(ヨブ2:7) その上、不幸が重なり、苦楽を共にするべき妻でさえも、『それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神を呪って死になさい』(ヨブ2:9)と呪いました。それにもかかわらず、ヨブは『あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか』(ヨブ2:10)と言って、口で罪を犯しませんでした。ヨブは激しい患難の中でも、神様が自分と共におられるという事実を知り、彼の信仰を堅く守ったのです。
ヨブがこのように苦しい患難の中でも、信仰を堅く守ることができたのは、彼の信仰を神様だけに置いたからです。真の信仰を所有した人は、どんな苦難の中に置かれても、真実な神様に対する信仰を捨てません。神様は、このような信仰の人を喜ばれます。へブル10章38節を見れば、『わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない』と記されています。

4.悔い改めるヨブ

ヨブの友人であるエリファズやビルダデ、ツォファルは、ヨブに襲った不幸な知らせを聞いて、ヨブを訪ねました。ヨブは、訪ねて来た友人と、自分が受けた苦難に対して様々な論議をしました。しかし、ヨブは友人を通して慰めや助けを受けるどころか、かえって心に傷だけを受けました。そんな中、ヨブは神様の御言葉を聞いて、自分の霊的な無知を悟るようになりました。彼は苦難を通して、神様が完全であることを知るようになりました。そして、言葉でだけ聞いていた神様を、自分の目で見るようになりました。その時になって、ようやくヨブは、『私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています』(ヨブ42:5~6)と告白しました。
このように、神様に出会った人は、自分自身が罪人である事実を悟るようになります。預言者イザヤも、イスラエルの将来のために神様に切に祈り、神様に出会い、自分が罪人であることを悟りました。(イザヤ6:1~5) イエス様の弟子のペテロも、主に初めて出会った時、自分が罪人であることを悟り、イエス様の足下にひれ伏し、『主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから』(ルカ5:8)と悔い改めました。このように自分の罪を悟って悔い改める者に、神様は祝福を与えられます。だからこそ、神様はヨブを苦境の中で顧みられ、始めの時よりももっと多くの祝福を与えました。(ヨブ42:12)
したがって、私たちも神様の御前で罪人であることを悟らなければなりません。そして、ヨブのようにどんな状況に置かれても、神様に向かってつぶやき、不平を言わないで、最後まで神様に仕え恐れることによって、信仰を守らなければなりません。真の信仰は、最後に勝利をもたらせます。

◎聖書研究
1.ヨブは、どんな信仰を持つ者でしたか?(勉強する内容)
2.神様は、患難の中でも最後まで信仰を守ったヨブに、どんな祝福を与えられましたか?(ヨブ42:12, 勉強する内容)

◎交わりと適用
1.患難の中でも最後まで信仰を守り、神様の祝福を受けた体験をお互いに話してみましょう。
2.あなたが、ヨブを通して見習うべき点は何ですか?