第11課 聖くされる聖霊様 (2015.3.18)

1.罪から聖くされる

イエス・キリストを救い主として受け入れ、救われた聖徒たちは、誰でもこの世を生きる間に、罪の問題とぶつかるようになります。『罪を犯したら、生きられないのだろうか?』と悩むようになります。いつも罪を犯す自分の弱さを見て、落ち込むようになります。使徒パウロもローマ7章15~24節で、「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」と嘆きました。このように、パウロの嘆きはまさに今日の私たちの嘆きです。
それでは、救われた私たちがこの罪の原理に縛られ、一生嘆きながら生きていくだけなのでしょうか? そうではありません。聖書にはローマ8章1~2節で、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです」と記されています。つまり、私たちはキリスト・イエスの中で、そして『いのちの御霊の原理』によって、罪に打ち勝ち、罪から解放されるのです。今日、イエス様と同じ助け主である聖霊様が、私たちを罪から解放し、聖くするために、私たちのそばに来られます。したがって、私たちは瞬間的に聖霊様を認め、歓迎して頼らなければなりません。そうすれば、聖霊様が私たちを罪から遠ざけるように助け、また罪を犯した時も、悔い改めることができるように助けるのです。

2.神様のために生きることで聖くされる

イエス・キリストを通して救われた聖徒たちを、罪から遠ざけるように助けることが聖霊様の消極的な働きであれば、救われた聖徒たちを神様のために生きることができるように励まし、聖くすることは、聖霊様の積極的な働きです。十字架で体を引き裂かれ、血を流され、私たちを救って下さったイエス様も、御自身のために生きるのではなく、神様のために生きました。そして、神様に大きな栄光を捧げられ、御自身も神様の御座の右に座るという栄光を得ました。
したがって、私たちもイエス様を見習って、神様のために生きなければなりません。私たちは、知的に、政治的に、意志的に限界があり、倒れる時が多々あります。しかし、聖霊様は、その時ごとに私たちの弱さを助け、また私たちが神様のために生きる人生がどれくらいうれしく、楽しく、満たされ、幸せなのかを悟らせて下さいます。このようになれば、私たちはこの世の罪からどんどん遠ざかり、また神様に対してはどんどん近づくので、自然に神様の品性に似て聖く変化するのです。
『聖潔』または『聖い』という言葉自体が『罪から分離された』ことを、また『神様に一致される』ことを意味します。パウロは、「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」(ローマ6:11)と語りました。私たちがこの御言葉を守って行えば、罪から遠ざかり、またイエス・キリストの聖い姿に似ていくことができるようになるのです。したがって、私たちは、今から罪については死んだ者と思わなければなりません。私たちの内側が、罪を犯す考えと衝動した時、すぐに行動に移してはいけません。罪はイエス・キリストと共に既に死んだので、この事実を覚え、断固として退けるべきなのです。私たちが意志的に罪の道から立ち去ろうと決心する時、聖霊様が私たちを助けます。それだけでなく、私たちは罪の道から立ち去ることで終わらず、一歩進んで神様のために生きる者にならなければなりません。その時、私たちを通して、イエス・キリストの聖なる香りが現れるようになるのです。

3.御言葉と祈りによって聖くされる

聖霊様は、私たちを聖くされる道具として、御言葉と祈りを用いられます。聖霊様は、神様の御言葉を通して私たちの過ちを悟らせ、悔い改めるようにするだけでなく、御言葉を通して私たちに向ける神様の御心を悟らせて下さいます。したがって、私たちが神様の御言葉に近づいてこそ、聖くなることができるのです。神様の御言葉は、霊の糧と同じです。そのため、私たちは毎日神様の御言葉を読まなければなりません。私たちが一日でも肉の糧を食べなければ、体力をまともに使うことはできません。同様に、私たちが霊の糧である神様の御言葉を毎日読まなければ、霊力は弱くなり、この世の様々な誘惑に簡単に陥ってしまうのです。だから、私たちは毎日霊の糧である神様の御言葉を読まなければなりません。
また、私たちは絶えず祈らなければなりません。祈りは、霊的な呼吸と同じです。この世で一瞬でも空気を吸わないで生きる人は、誰もいません。同様に、私たちが祈りの生活をしなければ、私たちの霊はすぐに元気を失うのです。したがって、イエス・キリストを信じて霊が生き返った人は、その霊の命を維持するために、必ず霊的な呼吸である祈りをしなければなりません。聖霊様は、祈りと御言葉を通して、私たちのすべての罪と欲望を捨て、また私たちがイエス・キリストの聖い姿に似ていくようにされます。Ⅰテモテ4章4節と5節を見れば、「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです」と記されています。物だけではなく、神様の形と姿と同じに造られた私たち人間も、神様の御言葉と祈りによって聖くなります。したがって、私たちは神様の御言葉を読み、聞き、黙想し、勉強し、暗唱することに全力を尽くさなければなりません。そして、毎日祈る生活を怠ってはいけません。

◎聖書研究
1.イエス・キリストを通して救われた聖徒たちを、罪から遠ざけるように助けることが聖霊様の消極的な働きならば、聖霊様の積極的な働きは何ですか?(勉強する内容)
2.聖霊様が私たちを聖くされるために用いられる道具は、何ですか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.聖霊様が聖くされた体験があれば、お互いに話してみましょう。
2.あなたは毎日神様の御言葉に近づき、絶えず祈っていますか?