第7課 すべての点でも幸いを得、 (2015.2.18)

1.神様の主権と什一献金

アダムは、神様が禁じられた善悪の知識の木の実を取って食べたことによって、神様の主権を侵害した罪で呪いを受け、いばらとあざみが生えた人生を生きることになりました。
今日でも、神様の主権を示す善悪の知識の木の実があります。それは、まさにイエス・キリストに関する信仰です。今日、ある人はイエス様を信じると言いながらも、イエス様が処女マリアから生まれたことを否定し、聖書に記録された証しと奇跡を認めません。まさに、彼らが現在、神様の主権を示す善悪の知識の木の実を取って食べる人々です。
では、物質が溢れている現世界で、神様の主権を現す善悪の知識の木の実は何でしょうか? それは、什一献金です。イスラエルの民は、神様の主権を現す善悪の知識の木の実である什一献金を盗み、神様の主権を侵害して、神様から呪いを受けました。(マラキ3:8~9) この什一献金は神様のものなのに、神様のものを盗んで、祝福が与えられることを期待できるでしょうか? 私たちが神様の約束である祝福を受けるためには、最初に神様のものである什一献金を盗んだ罪を悔い改めなければなりません。そして、多くても小さくても、神様のものである什一献金を、すべて神様に返上しなければなりません。什一献金は神様の主権を認め、その御言葉に従順する行為によって、私たちがすべての点で幸いを得る祝福を受け、自分のものにすることができる信仰の鍵です。

2.物質の祝福の法則

私たちがすべての点で幸いを得る祝福を受け、自分のものにするためには、次の信仰の法則を用いなければなりません。
一番目、蒔いて刈り取る法則です。大豆を蒔いた所に大豆が出て、小豆を蒔いた所に小豆が出るように、蒔いた通りに刈り取ることは自然の法則であり、宇宙の法則です。蒔いて刈り取る法則は、霊的な法則にもそのまま適用できます。(ガラテヤ6:7∼8) 私たちが神様の約束を信じて、信仰によって蒔く時、私たちに必要なものは、不足することなく刈り取れるようになるのです。
二番目、やまびこの法則です。私たちが山に登り、何も言わなければ、向かいにある山から何も聞こえません。しかし、私たちが向かいの山に向かって大声で叫べば、向かいの山からやまびことして返ってきます。神様の祝福も同じです。聖書には、「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです」(ルカ6:38)と記されています。したがって、私たちが神様と隣人のために物質を蒔けば、物質がやまびこのように30倍、60倍、100倍として再び私たちに返ってくるようになるのです。

3.すべての点で幸いを得させない要素たち

私たちが神様の祝福を受けようとするならば、祝福を受けておさめる器を準備しなければなりません。その器とは、まさに私たちの心です。しかし、私たちの心を病ませて、神様の祝福を妨害させる要素があります。
一番目、憎しみです。憎しみの心は、私たちを否定的にさせ、神様の祝福の中に入らせません。自分が他人を憎めば、憎しみの思いが自分を通って出て行き、他人を呪えば、呪いの思いが自分を通って出て行きます。すなわち自分が他人を憎んで呪えば、自分自身に神様の祝福が臨まないのです。
二番目、怒りです、怒りは私たちの理性を麻痺させて私たちを破滅させます。聖書には、「人の怒りは、神の義を実現するものではありません」(ヤコブ1:20)と記されています。怒りは、神様の祝福が臨む通路を妨げます。
三番目、むさぼりです。むさぼりは、何でも神様より深く愛することです。聖書には、「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです」(コロサイ3:5)と記されています。私たちがむさぼりを持っていれば、神様の祝福を受けることはできないのです。
四番目、完全主義です。完全主義とは、すべてのことを完全にするだけでなく、すべての人が自分のようになることを言います。この完全主義は、神様の品性ではありません。私たちがすべての点で幸いを得るためには、このような完全主義を捨てなければなりません。
五番目、罪責感です。罪責感とは、罪を悔い改めた後も、続けて罪意識を持つことです。このような罪意識は、私たちの霊と肉を病ませ、勇気と希望を失い、神様を受け入れないようにします。私たちが罪責感を持っている限り、神様の祝福を期待することはできないのです。
六番目、恐れです。現代人の心の中には、誰も恐れはあります。しかし、この恐れの感情が深くなれば、体と心に病気を起こします。聖書には、「恐れには刑罰が伴っているからです」(Ⅰヨハネ4:18)と記されています。ですから、恐れはすぐに退けなければなりません。
七番目、挫折感です。人生の勝敗は、私たちが失敗をした時に再び起きるのか、ただ座り込んでいるのかによって決まります。したがって、私たちが失敗しても落ち込ず、主に頼って再び起きなければなりません。その時、神様の祝福が伴うようになるのです。

4.成功的な人生を生きるためには

一番目、明確な目標を立てなければなりません。目標を立てた人と目標を立てない人の結果は、大きく違って現れます。私たちが具体的な目標を立てて祈る時、神様も明確に働かれるからです。
二番目、熱い志を持たなければなりません。聖書には、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」(ピリピ2:13)と記されています。ですから、私たちが成功的な人生を生きるためには、心の中に熱い志を持たなければなりません。
三番目、見つめる法則を用いなければなりません。人間の心は、考えの支配を受けます。すなわち、あるものを続けて見つめれば、その対象が自分に近づくこと、その対象の方に引っ張られることが起こります。私たちは、この見つめる法則を用いて私たちの志を成し遂げる事ができます。
四番目、口で認めなければなりません。私たちが口で信仰を認めれば、驚くべき働きが起こります。箴言6章2節を見れば、「あなたの口のことばによって、あなた自身がわなにかかり、あなたの口のことばによって、捕らえられたなら」と記録されています。したがって、目標を立てた後、熱い志を持ってその目標を見つめたなら、一歩進んで、すでに成し遂げられたことを口で認めなければなりません。その時、私たちの人生の中で、奇跡が起こるようになるのです。

◎聖書研究
1.物質の現世界で、神様の主権を現す善悪の知識の木の実は何でしょうか? (勉強する内容)
2.私たちが成功的な人生を生きるためには、どうするべきでしょうか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.すべての点で幸いが得られる法則を実践して、祝福を受けた境遇をお互いに話してみましょう。
2.あなたは成功的な人生を生きていますか? あなたが続けて成功的な人生を生きるためには、どのような努力が必要ですか?