第4課 祝福の福音 (2015.1.28)

1.物質世界を先に創られた神様

神様は、人間を創られる前に物質世界、すなわち天地万物を最初に創られました。そして、物質世界を創られた最後の日に、神様の形通りに人間を造られました。そして、彼らに祝福を与えられ、『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』(創1:28)と仰せられました。また神様は、全地上に、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木を、人間の食物になるようにしました。(創1:29)人間が造られた次の日は、創造主である神様の安息日でした。人間は造られた後、神様の安息の日の中に入って、神様が創造された豊かな物質世界を享受し、治めて生きるようにされました。神様は、人間に物質が必要であることを知っていたので、事前にすべて備えられたのでした。これによって、神様が造られた最初の世界は、人間に必要な物質がすべて準備された豊かな世界であり、また人間の衣食住の問題が完全に解決され、すべてが幸いな世界でした。ではなぜ、今日、人間は汗を流して労苦する人生を生きるようになってしまったのでしょうか?

2.なぜ過ちを犯すのか?

すべての人間が過ちを犯した根本的な原因は、人間が神様に背いたからです。神様はアダムとエバに、物質世界のすべての物を食べてよい、と許されましたが、園の中にある善悪の知識の木の実は食べてはいけない、と告げました。創造主である神様は、被造物である人間が、創造主の権勢の下で服従しなければならないという事実を教えるために、善悪の知識の木を創って置いたのです。
しかし、アダムとエバがサタンの誘惑にだまされ、善悪の知識の木の実を取って食べました。これは、神様の主権を踏みにじる行為だったので、神様の裁きと呪いが彼らに臨むようになり、彼らはエデンの園から追い出されました。
このように、アダムとエバの罪によって、地は呪いを受け、いばらとあざみが生え、それによって人間は顔に汗を流して糧を得て、みごもりの苦しみを受けるようになりました。そして、死んだ後はちりに帰るようになりました。(創3:16~19) このような呪いは、今日も全世界にぎっしりと詰め込まれています。では、この世は呪われた状態で、永遠の滅びに向かって行くしかないのでしょうか?

3.十字架の贖いの恵み

ある人は、イエス様が生涯貧困な人生を生きたゆえに、私たちもイエス様を見習ってそう生きるべきだ、と主張します。はたして、聖書もそのように記されているのでしょうか?
Ⅱコリント8章9節には、『あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです』と記されています。この御言葉は、イエス様が私たちを豊かにするために、自ら貧しくなられたことを意味しています。
ですから、私たち信じる者が豊かに生きることは、神様の御心であることだけではなく、イエス・キリストを崇める道です。イエス様は私たちの貧しさだけを贖われたのではなく、私たちの呪いも贖われました。これについて聖書は、『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです』(ガラテヤ3:13)と記されています。イエス様が自分から十字架の刑罰を受けたのは、私たちを呪いから贖われ、アブラハムの祝福を与えられるためです。(ガラテヤ3:14)
したがって、イエス・キリストの中にいる人々は、再び呪いを受ける理由がありません。すでにキリストを通して救われた聖徒は、キリストを崇めるようになるために祝福を享受しなければなりません。これが神様の御心であり、聖書の教えなのです。

4.祝福の信仰とシャーマニズム信仰の違い

シャーマニズムとは原始宗教の一つで、自称、神の代言者だと言うシャーマン(Shaman)たちが、人々を災いから免れさせ、祝福を与える行為を言います。また、広い意味では日、月、星、辰や山、川、草、木にいけにえを捧げて拝みながら、祝福を願う行為もひっくるめてシャーマニズムと言います。このシャーマニズムは、根本的に人間の心理から出発した、一つの現象にすぎません。人間は不安な存在なので、いつも人間の能力を超越した大きな力に頼り、災いを免れて祝福を受けることを望みます。そのため、日、月、星、辰や山、川、草、木に拝み、占い師を訪れ、災いから免れて祝福を得られるように、と切に願うシャーマニズム的な行為をするのです。したがって、シャーマニズムは一つの宗教とは言えません。ここには敬虔がなく、ただ災いから免れて祝福を受ける、というご利益的な行為だけがあるためです。
しかし、祝福の信仰は唯一であられる神様から出発します。最初の人であるアダムとエバの霊は、聖霊によって充満になり、彼らの周囲には物質的な豊かさによって満ちていました。彼らの意識の中には、ただ豊かさと祝福だけがありました。この祝福の根源は、神様でした。シャーマニズムは、救いという概念がありませんが、キリスト教の祝福信仰はイエス・キリストの救いを前提にしています。また、シャーマニズムは現世の人生を強調するだけで倫理的な面がありませんが、キリスト教の祝福は来世の復活と永遠の命の祝福を信じるので倫理的です。また、シャーマニズムは悪霊の気分に合わせるので、確実な根拠や一貫性がありませんが、キリスト教の祝福信仰は神様の約束の御言葉に根拠を置くので確実で一貫性があります。
したがって、私たちが神様に祝福を求めて享受することは聖書的です。ただ、優先順位をどこに置くのかが問題であり、その物質をどのように使うのかが問題なのです。祝福そのものよりも、私たちが祝福を与えられる神様を見上げ、求める行為は聖書的です。ですから、今日も神様の御言葉を愛する教会は、祝福の信仰を積極的に教えて宣言しなければなりません。

◎聖書研究
1.私たちが神様の祝福を受けられる理由は何ですか? (Ⅱコリント8:9, ガラテヤ3:13~14, 勉強する内容)
2.祝福の信仰と、シャーマニズム的信仰の違いは何ですか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.聖書的な祝福観によって生きているのか、お互いに話してみましょう。
2.あなたがイエス・キリストを受け入れた後、受けた祝福は何ですか?