第1課 新生の福音 (2015.1.7)

1.新生の必要性

神様は、宇宙万物を創造されてから六日目に、神様の形と姿に似た人間を創造されました。(創1:26~27)そして、アダムとエバのためにエデンの園を備えられました。「エデン」 は「喜び」という意味であり、その言葉の通り傷も害もなく、不足もない喜びの園でした。そのため、アダムとエバは神様だけを礼拝し、その御言葉に従順し、神様の管理者として、神様が創造された万物を治めることだけ行えば良かったのです。
しかし、不幸なことに、彼らは神様の御言葉に不従順する罪を犯してしまいました。神様は、園の中央にある善悪の知識の木を置かれ、アダムとエバに、その木の実を食べる日には必ず死ぬ、と告げました。(創2:9,17)この善悪の知識の木は、神様の主権を象徴します。しかし、蛇の誘惑に陥ったアダムとエバは、神様の主権を無視して、その木の実を取って食べました。神様の御言葉に従順し、神様だけに仕えるべき彼らが、神様の御言葉に背いて蛇の言葉を聞くことによって、神様の主権に逆らってしまったのです。これによって、世の中に罪が入り、その罪の結果として病気、呪い、苦痛、労苦と死が訪れました。アダムとエバの罪によって、彼の子孫である全人類が呪い、病気と死の奴隷になってしまったのです。

2.イエス様が開かれた新生の道

罪に陥って死ぬしかない人間を救われるために、神様はひとり子イエス・キリストをこの地に遣わされました。真なる神様であり、真なる人としてこの地に来られたイエス様は、十字架で死ぬことによって、罪と呪いと死の奴隷になった人類を救われました。では、最初の人アダムが罪を犯して、世に入った病気、呪いと死を、最後のアダムであられる(Ⅰコリント15:45)イエス・キリストがどのように解決され、救いの道を開かれたのでしょうか?
まず、イエス様はピラトの庭で血を流されました。十字架につけられる前に、主はピラトの庭で死刑宣告を受け、むちに打たれました。私たちの弱さために、主は御自身で引き受けられ、私たちの病気の問題を解決されるために、むちに打たれて血を流されたのです。(Ⅰペテロ2:24)また、イエス様は頭にいばらの冠を被られ、血を流されました。主がゴルゴタの丘に上られる前に、ローマの兵士たちがいばらの冠を作ってイエス様の頭に被せました。このいばらの冠が血管を刺して、イエス様の顔に血が流れ落ちました。いばらは呪いを象徴します。アダムの罪によって呪いの下にいる人類を贖われるために、イエス様はいばらの冠を被られ、血を流されたのです。(ガラテヤ3:13)それだけでなく、イエス様は十字架につけられ、血を流されました。十字架につけられ、釘を打たれた両手と両足から血が流れ落ちてきました。イエス様が十字架で流された血は、アダムの罪による全人類の罪を清算して、死を破るための血でした。このように、最後のアダムとして来られたイエス様は、罪に陥った全人類が救いに至るように道を開かれました。

3.新生の方法

ヨハネの福音書3章を見れば、ニコデモというユダヤ人の指導者が、夜にイエス様を訪ねて来て、新しく生まれ変わることについて質問しました。これに対してイエス様は、ニコデモに『人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません』(ヨハネ3:5)と言われました。誰でもイエス様を受け入れるためには、まず神様の御言葉を聞かなければなりません。主の御言葉を信じてイエス様を受け入れる時、初めて新生に至るようになります。
人間の知識や努力では、神様の御言葉が信じられず、主が救い主となられることも信じられません。そのためには、聖霊様の助けが必要です。Ⅰコリント12章3節を見れば、『神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません』と記録されています。聖霊様が来られて悔い改めるようにされ、信仰が与えられてこそ、イエス様を救い主として信じ、受け入れ、救いに至るようになるのです。ですから、救いに至る絶対的な要素はまさに 「信仰」です。長年、教会に出席して礼拝をたくさん捧げたからと言って、救いを得るのではありません。また、知識をたくさん積んだからと言って、救いを得るのでもありません。罪を犯したにもかかわらず、罪を犯したままのみにくい状態で主の御前に出て、イエス様を救い主として信じる人が救いを受けるようになるのです。

4.新生の結果

イエス・キリストを救い主として信じて、新しく生まれ変わった者には、神様の子どもになる権勢が与えられます。(ヨハネ1:12)ですから、神様を「アバ父」と呼ぶようになります。(ローマ8:15)また、新しく生まれ変わった者には、父なる神様を人生の泉として思うので、この世でどんな困難や患難が訪れても克服して、幸せで意味ある人生を生きることができるのです。さらに、イエス様を受け入れた者は、「新しく造られた者」になった人生を生きて行くことができます。(Ⅱコリント5:17)新しく造られた者の祝福は、何よりもたましいが幸いを得る祝福です。イエス様の十字架を通して生き返った私たちのたましいは、神様の御言葉と祈りを通して、真の平安と喜びと満足を得ることができます。そして、人生に対して肯定的で創造的であり、感謝する態度を持って生きて行くことができます。
また、イエス様を受け入れ者は、健康と長寿の祝福を受けるようになります。イエス様が私たちの病気を癒されるため、むちに打たれたので、主を信じて頼る者には健康と長寿の祝福が与えられます。イエス・キリストを信じて新しく生まれ変わった者は、たましいが幸いを得る祝福はもちろん、全ての点でも幸いを得て、健康になる祝福を受けるようになるのです。

◎聖書研究
1.人々に新生が必要な理由は、何ですか?(勉強する内容)
2.罪に陥った人は、どうすれば新しく生まれ変わることができますか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.イエス・キリストを信じる前と、信じた後の人生をお互いに話してみましょう。
2.あなたは、救いの確信がありますか? また、イエス・キリストを救い主として新しく生まれ変わった者が受ける祝福、すなわち、たましいが幸いを得ているように、全ての点でも幸いを得て健康になる祝福を受けて生きていますか?