第26課 幸せな人生を生きる秘訣 (2014.12.31)

1.幸せな人生を生きようとするなら

私たちが幸せな人生を生きるためには、どうするべきでしょうか?
一番目、イエス・キリストを信じ、神様の子どもとして新しく生まれ変わらなければなりません。なぜなら、幸せの根源が父なる神様にあるからです。イエス・キリストにあって新しく生まれ変わった人は、神の国の幸せを所有することができます。
二番目、聖霊充満を受けなければなりません。聖霊充満を受ければ、霊の深い所から命の水が流れてくるので、幸せな人生を生きることができます。ヨハネ7章37節から39節には、「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである」と記されています。
三番目、人生のすべての重荷を主に委ねなければなりません。主は、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』(マタイ11:28)と語られました。主の御前に私たちのすべての重荷を降ろせば、主が私たちの重荷を代わりに背負われるので、私たちの心に休息が得られるようになるのです
四番目、貪欲を捨てなければなりません。貪欲とは、自分の身の程を超えて、他人のものを欲しがることを言います。聖書には、『このむさぼりが偶像崇拝なのです』と記されています。(コロサイ3:5) 私たちが貪欲を抱けば、破たんをもたらすようになります。イソップ童話を見れば、カエルが牛のようになろうと空気を限りなく吸い込み、腹が裂けて死んだという話があります。また、『スズメがコウノトリのまねをすれば、股が裂ける』ということわざがあります。スズメはスズメのように生きるべきであって、コウノトリのように生きようとしてはいけません。私たちが幸せな人生を生きるためには、貪欲を捨て、神様が各自に与えられた信仰の分量通りに生きなければなりません。使徒パウロは、ローマ教会に送る手紙の中で『私は、自分に与えられた恵みによってひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい』(ローマ12:3)と記されました。

2.不幸な出来事を処理する方法

どんなに良い家でも、家の中のごみを出さなければ、ゴミ捨て場になってしまいます。同じように、人生の中で直面する様々な苦痛な出来事を、私たちがその都度処理しないで残せば、心の中がゴミ捨て場になるので、決して幸せな人生を生きることはできません。
しかし、今日多くの人々が、人生の中に来る問題をその時に処理せず、残したまま困難に出合い、人生を惨めに終える場合がたくさんあります。では、私たちが不幸な出来事に出合った時、どのように処理するべきでしょうか?
一番目、不幸な出来事が近づいても、受け取ってはいけません。ある人は、不幸な出来事が近づけば、そのまま受け入れ、もっと大きくしてしまう場合があります。そのような人は、不幸の中から抜け出せずに結局、倒れてしまうのです。ですから、私たちは不幸な出来事が近づいても、神様が全てのことを働かせて益として下さることを信じなければなりません。なぜなら、聖書には『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています』(ローマ8:28)と記されているからです。
二番目、不幸な出来事に出合った時も、感謝しなければなりません。詩篇50篇23節は、『感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう』と記されています。不幸な出来事に出合った時に感謝をすれば、神様が救って下さるのです。不幸を肯定的に受け入れる人には、幸せを創造するすばらしい材料になることができます。不幸は私たちの人格を磨き、私たちをさらに深い神様の恵みの中に導く近道にもなります。ですから、私たちは不幸な出来事に出合った時、苦しんだり、恨んだりせず、感謝しなければなりません。

3.明日に対する期待

明日に対する期待がなく、風の吹くまま波の打つまま生きて行く人は不幸な人です。まことの幸せは、明日に対する期待を持っている時に訪れからです。私たちがイエス・キリストの内に入れば、明日に対する輝かしい期待を持って生きることができます。なぜなら、イエス様が明日に対する私たちの勝利を保障されるからです。ローマ8章35節から37節には、『私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたたちのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです』とおっしゃっています。また、Ⅱコリント5章1節には『私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です』と記されています。
私たちの地上の幕屋が壊れたら、二度と死はなく、悲しみ、叫び、苦しみもない場所で、永遠に生きることができると期待できます。(黙21:4)それだけでなく、イエス・キリストの内に入れば、主が号令と御使いのかしらの声と神様のラッパの響きのうちに御自身が天から下って来られる時、霊の体に変化され、新しい天と新しい地で、主と共に永遠に生きられることが期待できます。(Ⅰテサロニケ4:16)ですから、私たちがイエス・キリストの内に入れば、この世で生きながらも、幸せな人生を生きることができるのです。

◎聖書研究
1.私たちが幸せな人生を生きるためには、どうするべきでしょうか? (勉強する内容)
2.私たちが不幸な出来事に出合った時、どのように処理するべきでしょうか? (勉強する内容)

◎交わりと適用
1.不幸な出来事に出合った時、賢く克服した境遇をお互いに話してみましょう。
2.あなたは幸せな人生を生きていますか? あなたが幸せな人生を生きるためにするべきことは、何でしょうか?