第25課 勝利する信仰生活 (2014.12.24)

1.羊飼いとなられる神様

ニュージーランドは、羊の数が人の数よりも多い国です。ニュージーランドの人口は約400万人ですが、羊は約7,000万匹になります。しかし、ニュージーランドでは羊飼いが必要ありません。国土全体が牧草地であり、荒々しい獣がいないので、羊を放牧することができます。しかし、イスラエルはそうではありません。国土のほとんどが険しく、水が貴重なので牧草地があまりなく、荒々しい獣も多くいます。ですから、イスラエルの羊は、羊飼いの助けがなくては生きることができません。そのため、イスラエルの羊飼いは、牧草地と水を見つけるために、1日中羊たちと共にいることによって、羊を獣たちから守ることができます。
私たちの人生も、イスラエルの羊たちと同じです。この世は荒野のようであり、サタンはほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(Ⅰペテロ5:8)ですから、私たちは導かれ、守られる羊飼いがいなくては勝利する信仰生活を送ることはできません。ダビデは、『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。』(詩23:1)と告白しました。ダビデは、羊飼いが羊を世話するように、神様が私たちを世話されるので乏しいことがない、と告白したのです。ですから、私たちもダビデのように、神様が私たちの良い羊飼いになられることを知り、「私は、乏しいことがありません」という信仰を持たなければなりません。
また、ダビデは『主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。』(詩23:2)と告白しました。このように、神様は私たちを緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。ここで、「緑の牧場」とは、神様の恵みと命が溢れることを、「いこいの水」とは平安と満足を言います。私たちの良い羊飼いとなられたイエス様は、私たちの人生の中で平安と満足が溢れるようにされるのです。(ヨハネ10:10)また、神様は私たちのたましいを生き返らせます。私たちのたましいに元気がなくなれば、神様が聖霊の雨を降り注いで、私たちのたましいを生き返らせるのです。私たちは、私たちの力だけでは義として生きることはできません。しかし、神様は主の御名によって、私たちを神様の御前に義として立つように導かれます。ですから、ダビデは神様が『御名のために、私を義の道に導かれます。』(詩23:3)と告白しました。

2.死の陰の谷と羊飼い

私たちは、自己中心に生きる利己主義者になりやすい傾向にあります。しかし、私たちが自分中心に、自分の欲のままに生き始めれば、その時から死の陰の谷を歩くようになります。また、私たちが死の陰の谷に入るようになれば、苦しい人生を生きるようになります。私たちの霊が死の陰の谷に入るようになれば、祈りができず、心が不安で焦り、苦しみます。また、私たちの肉体が死の陰の谷に入るようになれば、様々な病気によって苦しみに遭います。それだけでなく、私たちの仕事が死の陰の谷に入るようになれば、借金をするようになり、結局破産に至るようになります。命がある所には楽しみが満ちますが、死がある所には苦しみだけになります。
しかし、私たちが間違って死の陰の谷を歩くことがあっても、神様は私たちを孤児のように捨てたりはされず、私たちと共に歩まれます。ダビデは、『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』(詩23:4)と告白しました。ここで、むちとは主の導きを言います。神様は、人や環境を通して私たちが近道を行けるように導かれますが、それでも私たちが従順しなければ、むちによって打たれます。私たちの体を打たれたり、家庭を打たれたり、時には私たちの事業や生活を打たれたりすることもあります。イエス様を救い主として信じる者で、死の陰の谷に下った経験がない人は、あまりいないでしょう。しかし、死の陰の谷を歩く時に、神様の御心を悟り悔い改めることによって、まっすぐそこから出てくることもあります。また、意地を張って主のむちに打たれ、傷だらけになって初めて「主よ。何も頼れるものはありません。手を挙げて降参します」と言いながら出てきます。

3.敵の前で、食事をととのえられる羊飼い

私たちがこの世を生きる間、敵から来る様々な攻撃を避けることはできません。ですから、私たちが敵から攻撃を受ける時、敵を見ないで、神様を見て頼らなければなりません。私たちが敵から攻撃される時、全宇宙と万物を造られた力の神様を見て頼れば、神様が敵を退けられ、敵の前で私たちに食事を整えて下さいます。
ダビデは、敵から攻撃を受ける時、『私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油を注いでくださいます。』(詩23:5)と告白しました。敵が私たちを攻撃しても、神様が私たちと共におられ、私たちのために戦われて勝利されます。それだけでなく、敗北した敵が見る前で勝利の宴会を施されるのです。神様は、私たちが勝利するようにされ、私たちの頭に油を注いで下さり、私たちを大切にして下さいます。敵の前で私たちを高められるのです。ですから、私たちが敵から攻撃を受ける時、敵を見て恐れず、敵に打ち勝ち、勝利されたイエス・キリストを見て強く大胆に立ち向かわなければなりません。その時、私たちは勝利する信仰生活を送ることができるのです。

◎聖書研究
1.私たちが敵から攻撃を受けた時、どうすれば勝利することができますか?(勉強する内容)
2.私たちが死の陰の谷を歩くことがあっても、恐れる必要がない理由は何ですか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.敵から攻撃を受け、主の恵みで勝利した境遇をお互いに話してみましょう。
2.死の陰の谷を歩くことがあっても、主があなたと共におられることを信じますか?