第22課 人生と喜び (2014.12.3)

1.偽りの喜び

よく21世紀を混沌の時代だと言いますが、今、私たちはまさにそのような時代を生きています。文明の利器は、日に日に発達して生活は便利になり、豊かになりましたが、し烈な生存競争と情報の洪水の中でうまく適用できず、挫折感を感じてさまよう人々がたくさんいます。ですから、今日、人々は偽りの喜びを求めます。しかし、偽りの喜びの後には、いつもさらなる空虚感と挫折感がついてきます。これは、義を伴わない喜びを手に入れようとすることから来る悲しい現象です。偽りの喜びは、この世でだけでなく、来世でも壮絶な絶望を感じるようになります。聖書では、ルカの福音書の16章に出てくる金持ちと貧しい人ラザロのたとえを通して、偽りの喜びの結末をうまく表しています。この金持ちは、生前に紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくをして遊び暮らしていましたが、死んだ後にはハデスで言葉にできない苦しみを受けるようになりました。ルカの福音書16章23節から24節は、「その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』」と記されています。この世の偽りの喜びの中で人生を送った者の生涯が、死と共に終わるならば幸いなことですが、実情はそうではありません。へブル9章27節は、『そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように』と記されています。ですから、ルカの福音書16章に出てくる金持ちのように、この世の偽りの喜びの中で一生を送った人々は、今もハデスの炎の中で裁かれて苦しんでいるのです。世が与える世的な喜びは、またたく間です。この世の富と栄華と名誉を通して得る喜びは、すぐに消えてしまう蛍の光のようなものです。なぜなら、人の欲とは限りないので、喜びを得れば得るほどもっと渇いていくからです。

2.健全な生活の喜び

一時的ではありますが、私たちが人生で喜びを得るためには、」趣味生活をしなければなりません。ある人は、食べて生きることも苦しいのに、何が趣味生活だと言うかもしれませんが、人は生きるのが苦しければ苦しいほど、もっと多くの喜びを供給されなければならないので、趣味生活をすることが良いことです。喜びは、私たちの人生においてあってもなくてもよいものではなく、必ず必要なものです。
ですから、喜びを所有した家庭は幸せを享受しますが、そうできない家庭は世の多くの問題の中で苦しみます。しかし、家族全員が共に幸せを享受して生きる人は、顔が輝き、社会に出ても活気に満ちた人生を生きるようになるのです。人が一つ屋根の下で同じ釜のご飯を食べて生きるのは、神様の節理です。ですから、親は子供に喜びを与え、また子供は親に喜びを与える幸せな家庭を作るように努力しなければなりません。しかし、人がこのようによき趣味生活や幸せな家庭生活を通して健全な喜びを所有するとしても、その喜びは限界があります。そのような喜びは、永遠には続かないからです。では、どうすれば私たちが永遠の喜びを得られるのでしょうか?

3.永遠の喜び

私たちがイエス・キリストの内にいれば、永遠の喜びと平安を得るようになります。主が与えられた喜びと平安は、この世が与えるのとは違います。イエス様は、『私は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。』(ヨハネ14:27)と語られました。人生がどこから来て、何のために生き、どこに行くのかはっきりと悟った人は、心の中で真理を発見した喜びが溢れるようになります。しかし、この世で放浪者のような人生を生きる人は、この真理を悟れないので、まことの喜びがないのです。また、私たちがキリストにあってまことの価値を発見するようになれば、骨を削って肉をえぐる苦労をしても、無限な喜びを得るようになります。イエス・キリストを信じる私たちは、キリストにあってまことの価値を探す人々です。なぜなら、全ての宇宙と万物の主人であられる神様を父として受け入れて、その父に仕えるために生きているからです。ですから、イエス・キリストにあってまことの価値を探す私たちは、食べても飲んでも何をしても、すべて神様の栄光のためでなければなりません。(Ⅰコリント10:31)私たちの人生の意味と価値を神様に仕え、隣人を愛することに置けば、私たちの魂の深い所でまことの喜びが溢れるようになります。この喜びは、お金で買うことはできず、この世の富と栄華で買うこともできません。それだけでなく、イエス・キリストを信じる私たちには、最も究極的な喜びである天国を得た喜びがあります。イエス様は、この世に再び来られて、私たちを罪と病と呪いと死のない天国に導いて下さるのです。ですから、私たちは現在多くの問題と苦しみがあるこの世に生きながらも、イエス・キリストの真理を発見した喜びと天国を得た喜びを持って生きて行くことができるのです。イエス・キリストを信じる人々のしるしは、喜びです。イエス・キリストを信じる人は、喜びの源を所有したので、いつも喜ばなければなりません。気がかりや心配、逆境の中でもいつも喜ばなければなりません。イエス・キリストの内にある喜びは、老若男女、貧富貴賤を問わず、誰でも所有できる喜びとして永遠に溢れ出る泉のようなものです。

◎聖書研究
1.どうすれば、私たちが永遠の喜びを得ることができるのでしょうか?(勉強する内容)
2.この世が与える喜びと主が与えられた喜びは、どんな違いがありますか?(勉強する内容)

◎交わりと適用
1.主が与えられた喜びを経験した境遇をお互いに話してみましょう。
2.あなたは、いつも喜ぶ人生を生きていますか?